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[UTCP Juventus] 阿部 尚史

2009.09.29 阿部尚史, UTCP Juventus

2009年のUTCP Juventus第24回は特任研究員の阿部尚史が担当します。

私は18–19世紀のイランとその周辺地域の歴史を中心に研究を行っています。
私は2003年から2006年まで約二年半、イランに留学していました。イランは現在、「法学者の統治」velayat-e faqihという政教一致の政治体制のもとに置かれ、他国では、宗教的義務に過ぎない問題が、イランでは法的に強制されています(たとえば女性は家族以外の前ではスカーフをかぶらなければならないとか、アルコール・酒を飲んではならないとか)。一見すると非常に息苦しい国のようにも見られがちですが、国民の多くはそうした建前の中でしたたかに生きています。ただし、建前はやはり強力な力を持つこともあることは、最近、日本でも報道された、大統領選挙前後の混乱からも見ることが出来ると思います。
さて、私がこれまで興味をもって取り組んできた内容を大きく二つに分けて簡単に説明させていただきます。

1:18–19世紀における「イラン」の形成
・イランとアフガニスタン
修士論文以来興味を持ち続けている問題です。アフガン人の侵攻に始まる18世紀の政治変動と同世紀後半の文化運動の中で、現在のイランに直結する政治的・文化的共同体が形成されたことを考えてきました。この点で大きな意味を持つのが、ホラーサーン地方というイランの東部にあたる地方から、その一部が分離し、アフガニスタンという地域が形成された問題です。18世紀の政治的動乱とアフガニスタンの分離という問題を、以下の論文の中で検討しました。
拙稿「ナーデル・シャーとアフガン軍団」『東洋学報』85-4, 2004.

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(写真1)アフガニスタンとの国境の町より

・ペルシャ文化を巡って:ペルシャ語詩人伝を中心に
現在のイランという国は地方色の豊かな国で、特に国境付近では、全く別の国のようです。服装、習俗、言語、宗教など様々な点で中央部とは異なります。

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(写真2)首都テヘラン

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(写真3)パキスタンとの国境に面したバルーチェスターン州のある町から


多言語・多民族国家にも拘わらず、緩やかな統一を古くから持ち続けてきた理由に、文章語としてのペルシャ語の存在が挙げられます。ペルシャ語はイランだけではなく、現在の中央アジア、インド、アフガニスタンで、公式の言語として、広く使用されていました。
20世紀になりペルシャ語が国民国家イランの国語となる一方、他の地域では民族語が国語としての地位を得て排除されていきます。そうした前提に先立って、18世紀後半の時点から台頭し始めたイランの文学派は他地域の文壇との交流に否定的な見解を積極的に示し、直近の文学傾向を批判していることが、詩人伝というジャンルの史料を用いた研究の中で分かりました。この18–19世紀初頭の文学傾向が、20世紀になってナショナリズムの中で再解釈されて、イランの独自性の主張につながっていくと考えています。現時点では学会発表のみで目立った成果はまだ上げておりませんが、今後このテーマについても検討していくつもりです。

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(写真4)18世紀を代表する詩人伝の一写本より


2:18–19(20)世紀のイランのムスリム家族史研究
現在取り組んでいる博士論文では、上記の国民形成の問題とは別に、同じ時代におけるイランの家族の内部構造を検討しています。家族史といっても、世帯論研究のような人口学的なものではなく、個別の事例に則しながら、特に相続と財産の関係を中心に取り組んでおります。
イランだけでなく、中東全体でムスリム(=イスラーム教徒)が人口の大半を占めます。7世紀前半に誕生したイスラームという宗教において、イスラームの聖典であるコーランに、相続の記述が具体的に記されていることもあり、相続規範は8世紀末にほぼ確立したとされています。相続規範に基づけば、男女間に差はあるものの配偶者も含めて相続分が決められており、相続人の権利は重視されていました。しかし、イラン史だけでなく中東の歴史研究では相続の問題、ひいては家族の構造という問題はこれまで十分取り扱われてきませんでした。8世紀末にほぼ完成を見た相続規範が地域ごと、時代ごとに運用に違いがあったのかなかったのか、この問題を考える上で中東各地、各時代に適切な事例が集められていません。特に史料上の制約が大きいイランでは研究の不足は顕著です。
私は留学期間中蒐集した史料をもとに、18世紀半ばから20世紀初頭にかけての、タブリーズというイラン西北地方の有力一族について、博士論文として検討しています。イスラーム法の相続規定が実社会の中でどのように運用されたのか、という点が重要な関心事になります。中心的な史料は、売買文書、賃貸借文書、贈与文書、財産分割文書、合意文書、イスラーム法裁判官の法的見解といったイスラーム法文書および、私信、行政関連文書などをもとに研究を進めています。

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(写真5)18世紀の売買文書


具体的には財産の形成とその分割を見ています。その中で当然財産を巡る骨肉の争いが家族で繰り広げられています。こうしたドロドロとした家族の権利主張と法学者よる法的見解をみることにより、法的に見た家族のあり方、また法と社会の関係が分かると考えています。博士論文の一部として以下の論文を出版しました。
「財産と相続から見た18–19世紀タブリーズのナジャフコリー・ハーン・ドンボリー一族」『西南アジア研究』70号, 2009年。

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