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【UTCP Juventus】 西山雄二

2009.08.03 西山雄二, UTCP Juventus

 本年もまた、夏休み期間中に、UTCPの若手研究者たちが研究プロフィールをブログで連続掲載することになりました。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開などを自由に綴っていきます。初回は特任講師の西山雄二(フランス思想専攻)が担当します。

 自分の好奇心の雑多さのために、年を重ねるうちに私の研究分野はいくつかに分岐していきました。その足跡と展望を簡単に記すことで、研究プロフィールとさせていただきます。

1)哲学、教育、大学をめぐる研究

①哲学、教育、大学をめぐるジャック・デリダの理論と実践

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 ジャック・デリダはフランスでは伝統的な大学制度の門外漢だったものの、哲学と教育、哲学と大学の関係を実践と理論の両面で真摯に問い続けました。彼は1970年代には、政府による哲学教育の削減に反対してGREPH(哲学教育研究グループ)を結成し、哲学三部会を開催して哲学の現代的可能性を一般市民とともに討議しました。また、1983年には哲学の領域横断的な可能性を引き出すために新たな学府「国際哲学コレージュ」をパリに創設しました。この間、デリダが積み重ねた理論的成果は650頁を越える大部の論集『哲学への権利について』(Galilée, 1990. 共訳でみすず書房より近刊予定)に収録され、また、晩年には『条件なき大学』(拙訳、月曜社、2008年)でグローバル化時代における大学、とりわけ人文学の未来を問うています。こうした哲学、教育、大学をめぐるジャック・デリダの理論と実践の意義を解明するために、私は現在、脱構築と教育の関係、デリダの教育法の特性、教育をめぐるデリダの社会的活動の意義、国際哲学コレージュの制度的特徴などをめぐって研究を進めています。

②公開共同研究「哲学と大学」

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 また、こうした個人研究と連動する形で、同輩の若手研究者たちと公開共同研究「哲学と大学」を2007年10月からUTCPの枠で実施してきました。この共同研究の目的は、各哲学者の大学論を批判的に考察することで、教育法や教育論、学問論、教養論、人間論、人文学論といった主題も踏まえつつ、哲学と大学の制度や理念との関係を問い直すことです。これまで、ビル・レディングスカントフンボルトヘーゲル、デリダウェーバーの大学論について、そして、ヨーロッパにおける高等教育の再編フランスにおけるエリート教育といった主題について研究会やシンポジウムを開催してきました。その成果はUTCP叢書『哲学と大学』として本年3月に未來社より刊行されました。

③ドキュメンタリー映画「哲学への権利——国際哲学コレージュの軌跡」

 1983年、ジャック・デリダやフランソワ・シャトレらは、脱構築の論理にもとづいて研究教育機関「国際哲学コレージュ(CIPH)」をパリに創設しました。「脱構築の制度化」という類まれなこの試みに惹かれて、ドキュメンタリー映画を製作しました。本作品は、歴代議長ミシェル・ドゥギー、フランソワ・ヌーデルマン、ブリュノ・クレマン、現副議長ボヤン・マンチェフ、新旧のプログラム・ディレクターであるカトリーヌ・マラブー、フランシスコ・ナイシュタット、ジゼル・ベルクマンへのインタヴューから構成されています。この映画の目的は、現在のグローバル資本主義下において人文学や哲学の可能性を考えることであり、もっとも主要な問いは「制度の問い」です。9月にはアメリカで、2-3月にはフランスと日本の各地で上映と討論会が開催されます。

2)モーリス・ブランショ研究

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 私は小説家・文芸批評家モーリス・ブランショ(1907~2003)について研究を積み重ね、その成果を博士論文『異議申し立てとしての文学――モーリス・ブランショにおける孤独、友愛、共同性』(御茶の水書房、2007年)としてまとめました。ブランショは文学の経験に即して非人称性(誰でもない誰か)を探究した作家ですが、彼がこうした非人称的な零度から出発して、「孤独・友愛・共同性」という三幅対の人称世界(私・君・私たち)を文学・思想・政治の諸領域においていかに徹底的に生き抜いたかを本書では論じ、ブランショの生涯を網羅的に解明しました。現在は、ブランショの主著『終わりなき対話』の翻訳チームに参加し作業を進めています。

3)現代フランスにおけるヘーゲル哲学の受容

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 フランスにおけるヘーゲル受容に関しては、アレクサンドル・コジェーヴの『精神現象学』講義の影響とその否定まではよく知られているのですが、コジェーヴ以後にどのようなヘーゲル読解が登場しているのかはさほど解明されていません。フランスでは1970年代からヘーゲルの文献学的研究が進み、ヘーゲル解釈の地平が変化しつつあります。私はとくに、デリダのヘーゲル読解の流れを汲む肯定的で生産的なヘーゲル研究に着目し、ジャン=リュック・ナンシー『ヘーゲル――否定的なものの不安』(現代企画室、2003年)、カトリーヌ・マラブー『ヘーゲルの未来――可塑性、時間性、弁証法』(未來社、2005年)を翻訳し、その意義を紹介しました。また、現代フランスにおけるヘーゲル受容の概観については、『ヘーゲル――現代哲学の起点』(社会評論社、2008年)などに拙稿を掲載しました。

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