【報告】「カタルシスと崇高――ベンヤミンにおける詩学と歴史哲学」
2009年7月23日(木)、昨年度より継続の短期教育プログラム「歴史哲学の起源」の今年度第1回公開共同研究として、森田團氏(UTCP特任研究員、以下敬称略)の発表「カタルシスと崇高――ベンヤミンにおける詩学と歴史哲学」が行われた。
発表の冒頭では、プログラム主催者である森田により、目下の問題意識に基いて今後の研究計画の概要が述べられた。
今年度の「歴史哲学の起源」研究において柱となるのは、テーマ1:歴史哲学とギリシア悲劇解釈の関係の究明と、テーマ2.歴史哲学と予型論(ないしはタイプ論)との関係の究明の二つである。
ペーター・ソンディが「悲劇に関する思索はドイツ固有のものである」と概括するように、観念論以降のドイツ哲学は主要な対象としてギリシア悲劇を扱ってきた。悲劇解釈の流れは、ヘーゲルをはじめ、シェリング、シュレーゲル、シェリングとシュレーゲルの弟子であったラソー、『存在と時間』第77節における言及で知られるヨルク伯といった19世紀の哲学者のみならず、ルカーチ、ブロッホ、ベンヤミン、ローゼンツヴァイクら20世紀人にも及んでいる。森田によれば、彼ら哲学者をしてギリシア悲劇研究に赴かしめたのは、近代ヨーロッパでの古代ギリシア観のパラダイム・チェンジである。ルネッサンスからヴィンケルマンに代表される18世紀までの知識人にとって古代とは模倣の対象とすべき理想であったが、ヘルダー以降においては、古代は近代に欠如する何ものかを含んだ非連続な時代として捉えられる。このため、近代(Moderne)に対する異質な世界としての古代(Antike)という対比を基盤とした歴史意識が生じ、歴史哲学のケーススタディとして古代研究、ひいては悲劇研究が行われることになったのである。
だが森田によれば、このようにギリシア悲劇と歴史哲学に伝統的に密接な関係が存在した一方で、ヘーゲルらと20世紀哲学との間の時期に、悲劇解釈における歴史哲学の忘却が生じていたという。ゾルガー、ショーペンハウアー、キルケゴール、ニーチェ、フォルケルト、リップスらポスト・ヘーゲル世代の哲学者は、「悲劇的なもの」という非時間的な感情のカテゴリーを設定することにより、ギリシア悲劇を純粋に美学的に解釈する傾向にあった。それゆえ前時代までは存在した歴史意識がここで閑却に付され、20世紀の悲劇解釈との間に断絶を形成する結果になったのである。ここで森田が注目するのは、『崇高なものと喜劇的なものについて』を著したヘーゲル派の美学者F. T. フィッシャーである。フィッシャーは美学的解釈の徹底化という点では同時代のドイツ美学の枠内に位置づけられるが、美と崇高の関係を通例と異なって時間的に推移するもの(美→崇高)として把握することを提唱したため、20世紀以降の悲劇解釈における歴史哲学の再導入を準備したと見ることも可能だからである。
ギリシア悲劇解釈への歴史哲学の導入、忘却、再導入という流れを念頭におくとき、今後の「歴史哲学の起源」研究の方向性として歴史哲学とギリシア悲劇解釈の関係の究明を設定することは、私たちの学問的な営みとしての美学、文学研究、及び「批評」の起源と、その起源の忘却を明らかにするという意図によるものに他ならない。さらに視野を広げて、カント以降の美学や文学研究そのものが歴史哲学から派生したのではないか、との問いが成立する可能性が提起されたことも付け加えたい。
また、第二の研究主題である歴史哲学と予型論(ないしはタイプ論)との関係の究明についても、同様に悲劇研究との関連によって要請される課題としての側面を持っている。狭義の予型論とは、キリスト以降(新約聖書)の事象とキリスト以前(旧約聖書)の事跡との間に対応関係を読み取り、後者を前者の予型(テュポス、タイプ)と見做す聖書解釈論のことを意味するが、こうしたユダヤ・キリスト教の救済史もまた、ポリスの起源を語るギリシア悲劇と同じくジェネアロジー(系譜学)を企図するものである以上、その系譜が必ずしも直線的なものではなく絶えず反復や循環の契機を含むことを強調する予型論はギリシア悲劇の解釈にとっても無縁な思考法ではないからである。例えば、ヘルダーリンの『パンと葡萄酒』では、アダムとイエスに予型・対型関係を読む伝統的予型論に対して、ディオニュソスとイエスに予型・対型関係が置かれていることを想起されたい。
以上のようなパースペクティヴの下で、今年度のプログラム「歴史哲学の起源」が運営されることが述べられた。具体的な予定としては以下の通りとなる。
・第1回(今回):森田團による発表「カタルシスと崇高――ベンヤミンにおける詩学と歴史哲学」(テーマ1)
・第2回(2009年9月予定):長谷川晴生による発表、エルンスト・ユンガー『範型・名称・形態』を扱う(テーマ2)
・第3回(2009年9月以降予定):森田團による発表、ヨルク伯のギリシア悲劇解釈を扱う(テーマ1)
・第4回以降:未定
続いて、今回の本題である「カタルシスと崇高――ベンヤミンにおける詩学と歴史哲学」が開始された。今回の発表では、上記テーマ1のケーススタディとして、ゲーテの小説『親和力』をヴァルター・ベンヤミンが論じた批評『ゲーテの「親和力」』(1921年/22年)が扱われた。特に精読されたのはベンヤミンが「震撼(Erschütterung)」について論じている箇所(Suhrkamp版全集I/1の193ページ、ちくま学芸文庫版ベンヤミン・コレクションIの168ページ)である。ベンヤミン論文では、『親和力』の登場人物オッティーリエは一貫して美(Schönheit)という仮象(Schein)として規定されているが、この該当箇所においてはさらに考察が展開され、美という仮象が没落する(=オッティーリエが死ぬ)ことによって感動(Rührung)が震撼に移行するという分析が述べられている。森田はまず、震撼の客観的な対象を崇高とするベンヤミン本人の言明、および感動と震撼の関係を美と崇高の関係に等しいとするヘルマン・コーエン『純粋感情の美学』――ベンヤミンの参照先であった――の存在を指摘しながら、感動から震撼への移行という論理の背景にあるのは美から崇高への移行であろうと推測する。影響関係は詳らかではないものの、この移行は前述のフィッシャーのものと同様であることを想起されたい。
次に森田が注目するのは、自説を補強するためにベンヤミンが、「同じことを述べている」文献としてゲーテのエッセイ「アリストテレスの『詩学』への補遺」を引用していることである。ゲーテは『詩学』に即して、悲劇や悲劇的小説は読者に安心をもたらすのではなく、逆に不安に陥れるがためにこそ好まれることを述べている。ベンヤミンに直接の言及はないものの、ここでは『詩学』第6章におけるカタルシス(浄化)論が念頭におかれていると見ても不自然ではない。『詩学』によれば悲劇(τραγῳδία)とは、あわれみとおそれを通じて(δι´ ἐλέου καὶ φόβου)感情のカタルシスを達成するものである(1449b 21-28、岩波文庫版邦訳34ページ)。とすれば、ここで挙げられている「あわれみとおそれ(ἔλεος, φόβος)」とは、ベンヤミンの図式における感動と震撼に対応しているのではないか、と推理が進められる。
だが、ここで生じるのは翻訳の問題である。ドイツ語圏の伝統的な翻訳では、ἔλεοςとφόβοςはMitleid(あわれみ)とFurcht(おそれ)として訳されるのが通例であり、それに従う限り感動や震撼に対する示唆が存在することは想定しがたい。この問題を解決するため森田が参照するのは、19世紀ドイツの文献学者ヤーコプ・ベルナイス――フロイト夫人の伯父である――のカタルシス論である(『悲劇の作用についてのアリストテレスによる失われた論文の基本的特徴』)。ベルナイスのカタルシス解釈は瀉出的解釈と呼ばれ、レッシングの道徳的解釈(カタルシスは観客に道徳心を喚起する)およびゲーテの美学的解釈(カタルシスは悲劇の構成原理である)に続く第三のカタルシス観であるとされる。ベルナイスによれば、アリストテレスの本来意図していたカタルシスとは、悲劇の観賞によって人間の感情が限界にまで高められオルギア(恍惚)ないしエクスタシス(自己喪失)の状態に達する現象のこと、換言すればἔλεοςとφόβοςを限界に達したἔλεοςとφόβοςそれ自体によって浄化することであった。ベルナイスによるカタルシスの論理、すなわち感情の純化による感情自身の浄化をベンヤミンが知っていたと仮定すれば、美しい仮象の没落のなかでの感動から震撼への移行というロジックを展開するに当たってこれを応用したと考えられるのではないか、と森田は述べる。こうして、アリストテレスの悲劇論に端を発するカタルシスの論理が、ベルナイスを介してベンヤミンによる悲劇的小説の解釈に繋がっている、との仮説が完成することになった。ベンヤミンがベルナイスを受容したことについて確証は存在しないものの、傍証として、後の『ドイツ悲劇の根源』においてカタルシスを祭祀や密儀(=エクスタシスの契機)に媒介されるものとして捉えている箇所が挙げられた(Suhrkamp版全集I/1の241ページ、ちくま学芸文庫版邦訳の106ページ)。
以上に推測してきたように、感動と震撼の背景にあるのが美と崇高の関係であり、感動から震撼へ移行するときの原理がカタルシスであるとするならば、美と崇高の関係を規定するものこそカタルシスに他ならないことになる。ここで森田は、ベンヤミンがゲーテのアリストテレス論に触れる前の部分で、感動と震撼の空間の一例として、バッハオーフェン『母権論』に登場する「死ぬまで歌い続ける蝉の生」という形徴を挙げていることに注意を喚起した。プラトン『パイドロス』で死ぬまで歌い続けた人間の転生であるとされていることからも明らかなように、ギリシア人にとって蝉は転生、すなわち死と再生の象徴であった。ゆえに、ベンヤミンがここで蝉の象徴に触れているのは『親和力』でのオッティーリエの死が再生を前提とするものであることを示唆するためであり、敷衍すれば、カタルシスを通じて死/震撼/崇高がもたらされた後には必ず救済の希望が見出されるという認識が語られているのである。また森田によれば、ベンヤミンは、この美→崇高→救済という推移を、芸術作品の登場人物の生の上のみならず、芸術作品そのものの生のなかにおいても見出していると見ることができるという。美→崇高→救済の原動力としてベンヤミンは、同じく『ゲーテの「親和力」』内部で「表現なきもの(das Ausdruckslose)」という力(Gewalt)を想定している(原書181ページ、邦訳146ページ)が、「表現なきもの」とは美へと到達しようとする仮象を阻止する力であり、この批判的な機能によって崇高が現象する、という論理が提出されているからである。
感情の純化によるカタルシスの機能、カタルシスに媒介される美と崇高の関係、そして崇高の到達点としての救済、このような秩序は、単に美学的(非時間的)にのみ理解されるものではない。ベンヤミン本人が述べるように、(原書196ページ、邦訳173ページ)「すべての美は啓示のように歴史哲学的な秩序を自らのうちに含んでいる」のであり、美学的メカニズムは同時に歴史哲学上のそれでもあるからである。それでは、ここで言われている「歴史哲学的な秩序」とは、具体的にはどのようなものなのか。ここで森田は、美から崇高を経て救済に至るという移行関係のなかに秘められているのは、生から死へという単純な自然的な推移ではなく生の神話からの訣別・解放なのであり、この解放の論理こそがベンヤミンの詩学に内在する歴史哲学なのである、と結論づける。
作品化の論理、そしてその論理のなかにある歴史哲学的秩序を認識することがベンヤミンにとっての批評である以上、後に書かれた『ドイツ悲劇の根源』も親和力論の延長として読解する必要がある。その際には、ギリシア悲劇やそこに範をとる近代の悲劇ないし悲劇的小説が、ここで分析されたように神話との対決・訣別の要素を含むのに対し、近世悲劇であるバロック劇では、運命との対決は終末論を含んだ歴史との対決という形をとることになるであろう、と展望が述べられたところで、今回の発表は終えられることとなった。
質疑応答とコメントのうち、特に重要と思われるものいくつかを採録した。
まず小林康夫UTCPリーダーから、「表現なきもの」と作品化することとの関係に矛盾はないのか、との質問が出された。作品をつくることは仮象をなすことであり、「表現なきもの」と衝突する可能性はないのか、との趣旨である。発表者はこれに対して、ベンヤミンは作品を仮象/美と同一視しておらず、むしろ出発点としてあった仮象/美が揺るがされて崇高へと移行する過程が「作品化」であって、「表現なきもの」はその震撼のための契機なのである、と応答した。続いて、それでは批評の力と定義される「表現なきもの」はどこから到来するのかという問いが発された際には、発表者は、歴史の基盤にあるのは自由な行為であり、作品をつくることもそのような実践的な行為であるとするゾルガーの見解を引用しつつ、「表現なきもの」はこのような自由によって要請されるものであると答え、改めて歴史意識と作品化との関連性に注意を喚起した。
また、ギリシア悲劇における神話と近代の小説における運命を同一視してよいのか、という疑問も発せられた。果たしてギリシア人は運命を知っていたのであろうか。ギリシア人にとって神話とはポリスのジェネアロジーを語るためのものであり、ジェネアロジーを担保するものが婚姻、断絶させるものが婚外恋愛である。『親和力』のような近代の悲劇的小説の場合にはこのような系譜の意識は見られないのではないか、という趣旨である。
そのほか、ラカンがそのセミネール第7巻『精神分析の倫理』において、まさにベルナイスの瀉出によるカタルシス論を参照しつつ(邦訳下巻120ページ)ソフォクレス『アンティゴネー』を分析していることを指摘するコメントも寄せられた。ラカンはこの戯曲について、アンティゴネーは従来の解釈のようにポリスの法に抗して神々の正義をもたらしたがゆえに破滅したのではなく、正気/狂気、不法/合法、生/死といったあらゆる境界(ὄρος)を乗り越えたために破滅(ἄτη)に至ったのであり、このようにしてアテーが実現される瞬間に美が輝くのだ、と解釈している(174ページ)。詩学(そして歴史哲学)におけるカタルシス論と精神分析上のカタルシス論との関連性の再考は、今回の議論にさらなる発展を促すものであろうと思われる。評者が付け加えるならば、その際には、ラカンによるとアテーへの越境に際して現れるとされている現象は崇高ではなく美であり、さらにこの美は彼岸を指し示しはするものの幻惑によって分析を停止させることで真の彼岸を不可視化する、と両義的な評価を与えられていることに注意が払われねばならないであろう。
(文責:長谷川晴生 東京大学大学院総合文化研究科博士課程)