【報告】「時代と無意識」プログラム 2009年度夏期中間報告会
2009年度夏期の「時代と無意識」プログラム報告会は、二人の学生によるそれぞれの研究報告となった。
岩崎正太(UTCP)の発表「吃音考──言語に潜む「見えない奴」」は、《吃音》あるいは《どもり》とよばれる言語現象を、文学・思想の問題として捉え返そうとする試みであった。そこでは、作家小島信夫(1915-2006)の初期短編「吃音学院」(1953)を取り上げ、人間が言語を獲得し、その秩序化され制度化された世界へと参入していくことの違和として吃音を考えることができるのではないかと問うた。「吃音学院」において小島信夫は、吃音を「見えない奴」のしわざと表現している。本報告では、小島が喩によって浮き上がらせている「見えない奴」の領域を、ジャン=フランソワ・リオタールの「幼児期=インファンス infans」という概念と比して考察するとともに、「幼児期」としての吃音が、小島信夫の文章に現れるぎこちない文体やテニヲハの崩壊、ひいては物語における登場人物の反復されるコミュニケーション不全などに転化・表出されているのではないかと指摘した。
荒川徹(UTCP)の発表「時間の残骸──スミッソン/ディーンの不確定的タイムマシン」は、数年ののちに残骸化する作品を制作したロバート・スミッソン(1938-73)と、そのようなスミッソンの作品の残骸を探し求めるタシタ・ディーン(1965- )の作品における時間感覚の失調を考察した。スミッソンは1970年に、崩落寸前まで土砂で覆い尽くされてゆっくりと残骸化する《部分的に埋められた小屋》を制作した。ディーンは1999年にそのスミッソンの作品を探索しに行くが、現地ではすでに形跡を失っていたため、彼女は実際の跡地とは別の場所を仮構する。ディーンの映像作品は30年という時間の流れのなかに位置付けの不確定性を導入する。同時期にディーンはカリブ海の島において、アナクロニックな残骸を二つ発見している。それが世界一周航海レース中に錯乱し失踪した船乗りが乗っていた三銅船《テインマス・エレクトロン》(1999)と、卵状の未完の廃墟《バブル・ハウス》(1999)である。スミッソンもその人工的風景の地質学に影響を受けた小説家J・G・バラード(1930-2009)は、これらの残骸の時間錯誤性に注目しながら、スミッソンの《スパイラル・ジェッティー》(1970)への貨物をタイムマシンとして空想している。この作品は自然変化とともに、その主観的スケールを先史的風景から螺旋状星雲へと不定に変動させる。スミッソン/ディーンの作品は、残骸がこうむる予測不可能な自然変化・人工変化の複合体により時空間の位置づけを変動させ、時間の方向喪失をもたらすような、不確定なタイムトラヴェルのごとき経験を引き起こすものであることを提起した。
(報告:岩崎正太・荒川徹)