【報告】日本思想セミナー"The Social Mind and the Body of the Crowd"
去る6月23日、明治思想史を専門とするFranklin and Marshall CollegeのRichard Reitan氏を迎えて、UTCP日本思想セミナーが開催された。Reitan氏の発表は、明治後期から大正初期にかけての「群衆心理学(Crowd Psychology)」を扱ったもので、ドイツやフランスといった西洋の心理学の受容過程を検討し、その日本の社会精神や民族精神への影響を探るという野心的なものであった。
群集心理学は19世紀から20世紀への世紀転換期に、社会心理学の一分野としてあらわれた。それは「危険思想」の蔓延や頻発する反体制社会運動から社会の分裂の危機が問題視され、群衆活動の抑制が求められた時期であった。日本の群衆心理学者たちはHerbert SpencerやGustave Le Bonらの社会の有機モデルを参照し、社会が有機体であるならば社会は病にかかり得るという理論を生み出した。それは同時に、病原菌ともいえる「病に侵された群集」を前提とするものであった。社会を病理化した群集心理学は、群集の心を「診断」し、病を「治療」し、さらには将来起こりうる病を「予防」するという役割を担うことになる。Reitan氏によれば、これらの「診断・治療・予防」が、「表象・抑圧・統制」として機能した。たとえば「診断」は、群集心理学によってつくられた「病」を表象するものとして機能したが、そこでは群衆は常に犯罪者や女性として表象された。このように大衆を病理化、犯罪者化、ジェンダー化することは、個体への国家の介入と統制に正当性を与えた。また「予防」は、教育や警察といった形態で機能した。
群集心理学者たちは、群衆が社会秩序を脅かすという理由だけでなく、不安定な日本の民族精神を救うためにも群集心理学を必要とした。ここでReitan氏はキリスト教起源の西洋の学問をもとにした群衆心理学が、日本の民族精神といかにして結び付いたのかを検討する。それは、ドイツの心や精神に関する心理学から、明治日本の社会精神あるいは民衆精神へとつながる「精神の系譜」である。そこで顕著となるのはキリスト教が排除されたことである。その例として、湯原元一によるGustav Lindnerの翻訳、井上哲次郎と高山樗牛によるキリスト教批判が紹介された。Reitan氏は、明治期の精神や心のイデオロギーを踏まえたうえでなければ、日本におけるアイデンティティをめぐる包括的な批評はできないとして発表を締めくくった。
Reitan氏の発表は大きなテーマに取り組んだもので、その後のディスカッションでは、たとえばキリスト教をめぐる受容の問題はそのように端的に説明できるものなのかという疑問や、国家は具体的にはどのように群衆心理学を適用しようとしたのかなど、活発な議論がなされた。Reitan氏はこの秋にも来日する予定だという。関心をもたれた方は、今後の動向をチェックされたい。
(報告:中尾麻伊香)