【報告】Le toucher des philosophes
2009年7月3日、フランソワ・ヌーデルマン(François Noudelmann パリ第8大学)による講演「Le toucher des philosophes」がおこなわれた。ヌーデルマンはフランス・キュルチュール局で哲学のラジオ番組「哲学の金曜日Les Vendredis de la Philosophie」のパーソナリティーを毎週務めているが、いつもの歯切れのよい語り口で聴衆を飽きさせなかった。
自身が卓越したピアノ演奏の腕前をもつヌーデルマンによれば、「哲学者と音楽」という一般的な主題はこれまで論じられてきたが、「哲学者とピアノ」の関係が議論されたことは稀である。19世紀において、ピアノはその広大な表現音域でもって、オーケストラの演奏を家庭で再現できる楽器として重宝された。いまだレコードのような複製機が存在しない時代、ピアノは人々が日常生活のなかで音楽に触れるための重要な楽器だった。音楽の普及に重要な役割を担ったピアノと思想家の関係を扱う意義は十分にあるだろう。
サルトル研究者として出発したヌーデルマンにとって、マドレーヌ・ゴベイユ=ノエ(Madeleine Gobeil-Noël)によるドキュメンタリー映画「ボーヴォワールとサルトルの横顔(Portrait croisé de Simone de Beauvoir et Jean-Paul Sartre)」(1967年)がある種の啓示をもたらした。そのなかには、サルトルがショパンの「夜想曲第3番」を20秒ほど演奏する場面があったのだ。彼はサルトルがピアノを弾いたという新奇さではなく、ピアノを奏でるこの思想家の身体とリズムに深く感銘を受け、別のサルトルを発見した。
ヌーデルマンは自著Le toucher des philosophes : Sartre, Nietzsche et Barthes au piano (Gallimard, 2008)に即して、サルトル、ニーチェ、バルトの事例を取り上げ、彼らのピアノとの関係(批評、演奏、作曲)を整然と理論化するのではなく、彼らに同伴しつつ、その関係を記述しようと試みる(他にもピアノと深い関係をもった思想家としては、アドルノとジャンケレヴィッチがいる)。演題のLe toucher des philosophesで使用されるフランス語toucherは、「触れる、接触する、命中する、関係がある、感動させる、演奏する」とさまざまな意味をもつが、講演は思想家たちとピアノのtoucherの関係を最大限に引き出すものだった。
3人の思想家とピアノの関係は、女性性、身体性、生の律動の主題に即して物語られた。例えば、男性的な実存主義思想家サルトルは、ピアノそのものに対して女性的な誘惑を感じており、そこには愛する―愛されるという能動―受動関係が生じている。ニーチェは精神の病に倒れた後もピアノの演奏を続けており、つまり、彼はピアノとともに、世界から引き籠った地点で別の身体性を維持していたとも言える。つまり、楽譜(partition)の世界のように、ピアノは自己の分割(partage)と再構成の経験をもたらすのである。
質疑の時間には、「初期ニーチェにおけるアポロンとディオニュソスの区別は、彼の音楽の位置づけとどのように関係するのか」「今日議論された主題は私的な問題系だが、ピアノと思想家という視座から社会―歴史的な主題を扱うことはできるのだろうか。いやむしろ、女性性、身体性、生の律動の主題は社会―歴史的なものと私的なものとの境界なのだろうか」「サルトルの想像力の問題とピアノの関係、つまり、イメージと音楽の関係はいかなるものか」といった問いが出された。
(文責:西山雄二)