「世俗化・国家・宗教」セッション5
2009年6月8日,「共生のための国際哲学特別研究Ⅲ」第5回セミナーが行われた。
今回は,安丸良夫『神々の明治維新 -神仏分離と廃仏毀釈-』(岩波書店 1979年)を取り上げた。阿部百里子(総合文化研究科博士課程)による報告が行われた。
発表者はまず島薗進「日本の世俗化と宗教概念」『世俗化とライシテ』(UTCP Booklet 6 2009年所収)で指摘される日本の世俗化の四つの転機((1)16~17世紀,(2) 明治維新後,(3) 1945年,(4) 世俗化は未完了)を挙げ,その安丸文献では第二段階の世俗化が解説されているとした。
本書で安丸は,明治政府によって行われた神仏分離や廃仏毀釈をとおして現代の精神のありようを規定したとし,明治政府による神道国家体制の樹立を分析してゆく。
その前史として安丸は幕藩体制下の宗教にかんする政策と思想を取り上げる。
明治政府は当初祭政一致と神祇官再興を,新政権権威確立と神権的天皇制を基礎付けるイデオロギーとして用いようとし,1868年に神仏分離を命じた。これはキリスト教に対抗した国家統合を意図しており,仏教側は国家的課題においてすすんで独自の道を模索したと安丸は指摘する。この時点で廃仏毀釈は一部で行われるに留まったが,変革期の不安のなかで仏教廃滅の噂が民衆の間に広まり,廃仏の風潮が強まっていった。廃仏の意志がないことを明言する政府とは裏腹に,政府の宗教政策を先取りして見せようと地域的に激しい廃仏が行われた。ここで安丸は廃仏毀釈への抗議と被害からの復興の過程で浄土真宗の果たしたイニシアティヴを強調する。続いて政府は1870年に大教宣布の詔を発し,祭政一致を進めようとしたが失敗に終わる。71~72年を境に,祭政一致の理念は皇室による祭儀形式の次元に後退した。
これらのプロセスと平行して,産土神を除く民俗信仰の多くが迷信・猥雑・浪費と見なされ禁圧されたことに安丸は着目する。これは女人結界の廃止などの開明と啓蒙の政策と相補的であった。
神祇官による教化の失敗を受け,明治政府は1872年に教部省を設置して,神仏双方から任命された教導職による教化を試み,一方で講社を認可して統制を行った。その後島地黙雷,木戸孝允,森有礼らの思想家により信教の自由論が唱えられ,また欧米諸国からのキリシタン禁令批判もあり,日本型の政教分離が模索される。大日本帝国憲法では,漠然とした制限付きでの信教の自由が認められ,国家神道非宗教説が採られたが,これは国家が要求する秩序への同調の強要を容易にし,神社神道の受容とそれへの同調が各派教団に求められるようになったと安丸は指摘する。こうして,国家による国民意識の統合の企てとして始まった神仏分離政策は,人々の自由を媒介とした統合へとバトンタッチされて終わった,と結論づけている。
ディスカッションをつうじて,改めて本セミナーのテーマの一つである「宗教」や「世俗化」とは何か,という問いが提示され,本書ではその概念規定が曖昧であることが指摘された。特に島地黙雷らが政教分離の確立した西洋モデルの移入を主張したという箇所は明らかにアナクロニスムであろうという指摘がなされた。また,政治史に偏重して民衆の側の視点が希薄ではないかという指摘に対しては,本書で浄土真宗の役割が特権的な存在として評価されていることを含め,再検討する必要があるのではないかという意見が出された。これは明治以前には不可分のものであった仏教と神道が相互に別のものとして自らを定義していくプロセスにもかかわる問いである。さらに,宗教と国家の問題を日本の文脈において考える上で,天皇をいかに位置づけるかという問題にはさらなる議論が必要であることを確認した。
本書の発行年が古い(1979年初版)こともあり,現代的な観点からはいささか不充分な点が見られるものの,本書は日本における世俗化の歴史を通史的に見通す上で今なお示唆に富む文献である。
(報告:大野晃由)