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【報告】Claudio Giunta "Reading Dante Today"

2009.06.02 村松真理子, セミナー・講演会

トレント大学准教授クラウディオ・ジュンタ氏を迎え、5月26日、Reading Dante Todayと題した講演会が催された。

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ジュンタ氏は、イタリアの若手としてすでに非常に高い評価をうけている文学研究者。イタリアで最も権威ある文学叢書の1つ「メリディアーニ」の新たなダンテの『詩集』の注釈編纂の仕事をちょうど校了したところで、文学部南欧文学科に外国人研究員として来日中。日本の「国文学」源氏物語研究にあたるような、イタリア文学研究の王道である「ダンテ学」「文献学」を極めつつ、中世の詩学に関する研究書で権威あるリンチェイ・アカデミーから優れた研究に与えられる賞を受けるなど、大いに「中世文学研究者」として活躍する一方、彼の関心は現代にあると言う。

その両方について語ってもらおうという今回、彼はバルト、ウォラス、カフカ、プルースト等々引用しつつ、20世紀の文学がどう語り、広く近代以降の文学がどのように我々によって自分たちのものとして読まれうるかということを、ダンテの中世的世界と対比させながら、特に『神曲』の登場人物の描かれ方について取り上げ分析した。ダンテの「地獄」がロマン派以降の再評価の中、同時代的アプローチで読み直されたことや、「煉獄」や「天国」が抜け落ちたことを指摘し、ダンテのactualizationまたはアナクロニズムにもとづいた読解について批判しながら、徹底したコンテクストの研究が重要であることを強調した。「古典研究」を追求しつつ、教育や現代文化における「文学」の場においては、「ダンテ」が読まれなくなる可能性までも受け入れ、「脱神話化」しようとするのがジュンタ氏の立場。ただし、さまざまなテクストを我々が我々のものとして読む姿勢、さらにそれを読み解くための道具も、我々自身の同時代コンテクストに限定されるものである以上、その限界の中で潔い立場を取るだけでなく、折衷的立場や方法はないのだろうか、というのが外国人としてイタリア文学を研究する者として講演会を聞いた感想だ。

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我々の「文学」へのアプローチとして、「古典」のテクストの世界と、(ジュンタ氏が目指しているような)現代の社会・文化への批評や新しい小説の「創作」の場とに分離しない方法はないのか。テクストの歴史性という限定だけでなく、たとえば、「ダンテ」的なるものを、(失われた−回復するべき−「ヨーロッパの精神」として捉え、自らの置かれたクライシスの中でクルツィウスやアウエルバッハが読もうとしたような)切実に読もうとする動機や、その動機とテクストへの運動が連動して生み出す「方法」が、21世紀初頭の状況を生きる私たちに欠けている、ということか。

ジュンタ氏の方向性に、「父親」の世代のウンベルト・エーコが、トマス・アクイナス研究の大著を完成してから後、「記号論」やメディア論にむかい、さらに『薔薇の名前』を皮切りに知的な新たな娯楽小説を開拓しようとした姿が重なる。これも、20世紀のイタリア的知性の文化的アンガージュマンの一つの型の継承か……。

(文責:村松真理子)

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