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【報告】アンヌ・ジュランヴィル「ヴァージニア・ウルフにおける創造の幻視的過程と感覚の役割」

2009.06.19 原和之, 岩崎正太, セミナー・講演会

去る2009年5月12日、アンヌ・ジュランヴィル氏を迎え、「ヴァージニア・ウルフにおける創造の幻視的過程と感覚の役割」と題された講演会(司会:原和之氏)が開催された。講演は、いわゆる創造〔創作〕のメカニズムに、作家ヴァージニア・ウルフの諸テクストに現れる「幻視(vision)」的契機から迫るものであった。

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まずジュランヴィル氏が注目するのは、ウルフが「存在の諸瞬間 moments of being」と呼ぶ衝撃である。衝撃という圧倒的な力に直面したとき、世界の一貫性に亀裂が入ったような恐怖の体験をし、あるいは反対に「陶酔」を引き起こすような幸福を感じる。ジュランヴィル氏によれば、このときウルフが経験しているのは、現実界との「悪しき出会い mauvaise recontre」であり、象徴界における現実界の穴に直面した、諸事物の一貫性の撤廃という限界経験の試練であるという。ウルフが示す創造の過程には、まずこのような外傷的出発点があることを確認する。

外傷を経験し象徴界による保護がすっかり引き裂かれた主体は、世界の外側に投げ出されると同時に、脱主体化・脱人格化の経験をする。このときウルフの作品において幻覚的感覚の侵入が続くのであるが、ジュランヴィル氏によれば、これはラカンが「残忍な享楽」といった、制限をもたずシニフィアンによって構造化されていない感覚的享楽であるという。そして感覚的享楽の氾濫は、諸感覚を制限しさまざまな知覚へと組織立てるものである限りのランガージュの法則が欠損していることを意味する。しかし、ウルフは、このような衝撃を「見かけを超えた現実のものの証言である」として積極的に受け入れ、そして作家として「言葉によってそれを現実的にする」という。ウルフによると、これらの衝撃は幻視という「幻覚性の」経験を通じてなされるエクリチュールの行為を条件づけるものである。言い換えれば、幻視の瞬間において衝撃が捉えられ、そしてエクリチュールへと移し変えられるのだ。

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意識に襲い掛かってくる衝撃のなかの幻視において、感覚は、神話的で原初的な、構造的に失われた〈モノ〉を復活させようとする。感覚は、〈モノ〉がそれとして受け取られた瞬間の絶対的性格を保存することができるのである。ジュランヴィル氏によれば、ウルフは、この諸感覚の「衝撃」の爆発的瞬間によって印象を捉え、感覚の出現を言語的出来事に変えるという、まったく新しい文学スタイルを作り上げた。そしてそれは、エクリチュールの作業において、不意に出現する心的イメージを隠喩(métaphore)によって支えることであるというのである。精神分析の理論や概念に不慣れな報告者にとってジュランヴィル氏の濃密な講演を十分にお伝えすることは手に余るものであるが、このようにしてウルフによる創造的過程が明らかとされた。

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当日は、ディスカッサントとして遠藤不比人氏(成蹊大学)を迎え、メラニー・クラインの理論を中心とした応答・議論が行なわれた。また、会場にお集まりいただいた方々からも質疑応答がなされ、ラカンとクラインの差異や、ウルフにおける女性性とクラインとの接合の可能性についてなど、活発な議論が行なわれた。なお、ジュランヴィル氏の講演はフランス語で行なわれ、遠藤氏の応答は英語で行なわれた。また、日本語での質問の際には司会の原和之氏が通訳を務められ、多言語での講演会となった。

報告者:岩崎正太

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