【報告】"Two Perspectives on the ‘Thing’ in Poetry: Where Fenollosa and Pound Diverge"
イェール大学比較文学教授・東アジア研究機構長Haun Saussy氏を迎え、5月25日 “Two Perspectives on the ‘Thing’ in Poetry: Where Fenollosa and Pound Diverge”と 題した講演会がUTCPと東大—イェールイニシアティブにより催された。
Saussy教授は、エズラ・パウンド(Ezra Pound)により1919年に出版されたアーネスト・フェノロサ(Earnest Fenollosa)の中国詩における漢字の意味・役割を綴った “The Chinese Written Character as a Medium of Poetry”という文章をThe Chinese Written Character as a Medium for Poetry: A Critical Edition(2008)として改めて編集しなおした。新しい編集には、フェノロサの原文のうちで、パウンドが省略した部分も含まれている。講演では、本書をもとにパウンドによるフェノロサの「もの」(“thing”)に対する考え方の誤解が指摘された。
パウンドは、フェノロサのエッセーから中国語詩における「もの」の意味をその具体性にあるとし、漢字が自然における因果関係を瞬間的に表わすのに有効であると読み取った。そしてパウンドは、このような考え方をモダニズムの一環としての自身の詩的運動Imagismに用いることで、ヨーロッパの抽象的な世界観に対抗することを試みた。しかしながら、Saussy教授によれば、フェノロサの文章のうちでパウンドが削除した部分や彼の著作からは、フェノロサが「もの」をむしろ自然における色々な関係の交わりあいであり、空気のようであると捉えていて、その抽象性に価値を見いだしていたことが分かる。教授は、フェノロサのこのような考え方には華厳思想の影響が見られるのではないか、フェノロサは、来日した際に自らの師あった天台宗の櫻井敬徳や東大で彼の生徒であった岡倉天心に影響を受けていたはずであり、この点についてこれから研究を進めていきたいと続けた。
フェノロサの関心は芸術や美術だけではなく、むしろ東洋と西洋の要素を宗教や哲学そして最終的には新しい人間像に組み込むことであった。パウンドのエッセーで省かれたこのようなフェノロサの考え方は、ポストモダニストの芸術家によりやっと受け入れられるようになったという。Saussy教授は、「グローバライゼーション」は、何も新しいことではない、フェノロサのように、遠く離れた場所に住む人々のアイディアを取り入れようとする姿勢は、昔からあったことで評価するに値する、と講演を結んだ。
講演後フェノロサが融合しようとした「東洋 (East)」と「西洋(West)」とは何かという質問・指摘が聴衆者から出された。フェノロサの出身国であるアメリカは地政学的にはどうとらえられるのか。ヨーロッパと同じ「西洋」であったのか。また、そもそも「宗教」は近代に生まれた概念であるので仏教を「東洋的」として考えることができるのか。岡倉天心をはじめとする当時の日本の知識人は、「西洋」で作られた「東洋」のイメージに基づいて自分達を解釈しようとしており、現代においてもこのような考え方が根強く残っている。このような、二項立的な考え方を乗り越えるためにはうしたらよいのか。Saussy教授はこれらに対し、「西洋」、「東洋」という枠組みはあくまでもフェノロサの視点から述べられているのであり、現代の視点からは批判的に読み取ることができると答えた。しかし、フェノロサが異国の人々の考えを共有しようとした努力は認めるに値する。これから、二〇世紀の美術史や思想史を考える上で、今まで見えてこなかったこのような交流に焦点を当てることは大切だとした。また、この講演をきっかけとして、東大とイェール大学の交流を「東大−イェールイニシアティブ」の枠組みを使って深めることができればと述べた。
報告者 金原典子