【報告】イスラエルのユダヤ人としてイスラエルを語ることの困難を乗り越えて——フルマーさんと語る
4月26日、政治哲学を専門とするUTCP研究員のナヴェ・フルマーさんが、「イスラエルのユダヤ人」として、パレスチナ/イスラエル問題について語った。セミナーは、UTCP研究員クローズドで行なわれた。
クローズドであった理由にも関連するが、フルマーさんの専門は政治哲学であり、イスラエルを含む中東地域や民族紛争の研究者ではない。したがって、このセミナーでは、「イスラエル生まれのユダヤ人」として、「イスラエル社会のマジョリティであるユダヤ人」として、フルマーさんは語った。
フルマーさんは、パレスチナ/イスラエル問題の概略、歴史、地図、域外難民も含めた人口構成、イスラエルの占領政策など、基本的な情報をザッと紹介したあと、問題の本質が、イスラエルによる周到に組織化されたエスニック・コントロールにあることを明確に示した。1948年の建国以来イスラエルは、「パレスチナ国家」が存立する可能性を徹底的に潰してきたし、93年のオスロ合意以降もパレスチナの占領地に入植地を急激に増築していった。最大限の土地にできるだけ多くのユダヤ人を住まわせ、逆にできるだけパレスチナの土地と人口を減少させるという政策が一貫してきた。最近行なわれたイスラエルのガザ攻撃にも言及し、これがイスラエルによる虐殺であり戦争犯罪であるとも明言した。
さらに、大きな問題は、イスラエルが巧妙な「プロパガンダ・マシーン」となっていることであり、上記のような状況にもかかわらず、世間一般やメディアにおいては、「紛争の責任はパレスチナ側にある、パレスチナ側はイスラエル国家を認めず戦闘を望んでいる」とか、「イスラエルはガザ地区から撤退して占領をやめたのに、ロケットを打ち込んできたのはパレスチナ側だ」といった宣伝が蔓延しており、実際に功を奏している。こういった点が、フルマーさんから指摘された。
これに対抗して一人一人ができることとして、フルマーさんは、国際世論を変えることが重要だとした。イスラエルは世論の動向をひじょうに気にしているからこそ、新聞社や大学機関などに働きかけて、上記のプロパガンダを是正し、占領を批判する世論をつくりだすことが有効と考えられる。
また同時に、イスラエルのパラノイア的被害者意識を中和することも必要だとフルマーさんは指摘した。イスラエルは最新鋭の戦闘機や戦車や潜水艦をもち、核ミサイルまでもっていながらなお、国家存立の脅威に晒されているという思い込みをもっており、それゆえに過度な暴力性を発揮している。しかしこれは明らかにバランスを欠いた思考である。
最後にフルマーさんは、「ユダヤ国家」という理念そのものを問題にした。もし「ユダヤ国家」という理念を維持するなら、非ユダヤ人たるパレスチナ人を「Bクラス市民」というふうにして管理対象としなければならないが、これは民主主義社会では受け入れられない制度だ。なんらかの形で、一つの土地の上で、ユダヤ人とパレスチナ人が、権力を共有し共存できる方法を模索しなければ、解決の道はない。
その他、フルマーさんは、ホロコーストとイスラエル国家の問題(イスラエル批判と反セム主義とを峻別する必要性)や、イスラエル・ボイコットの有効性などについても論及したが、ここでは省略する。
強調したいのは、フルマーさん自身は、イスラエルの占領政策に批判的な思考を身につけていったが、ラディカルな反シオニストという立場は好まないとしていること。ラディカリズムは過度にロマンティシズムに陥りがちだからだ、という理由からだ。
ここに政治哲学研究者としてのフルマーさんのポジションが反映されていると思う。イスラエルの〈内部〉に立ちながら、〈外部〉の視点も身につけ、ギリギリのありうべき批判のあり方を模索している。またそのことによって、イスラエルのマジョリティであるユダヤ人としての「責任」をも果たそうとしているように見えた。
質疑応答では、「一国家/二国家」問題(「バイナショナリズム」についての是非)、ユダヤ国家を支える「帰還法」の問題、イスラエルの国家教育から離れることの難しさ、イスラエル内で不可視化されているパレスチナ人と「出会う」ことの難しさ、ヘブライ語とアラビア語との政治性も含んだ関係、といったさらにきわどい議論に踏み込んでいった。フルマーさんとしては、応えにくい問いも含まれていたと思う。フルマーさんの誠実さと勇気に感謝したい。
(文責:早尾貴紀)