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【UTCP on the Road】 経験の二つの開かれ(大竹弘二)

2009.04.03 大竹弘二, UTCP on the Road

グローバル化、あるいは哲学的には「歴史の終焉」とも名指される90年代以降の動向のなかで、世界各国はますます一つの同じ状況を共有するようになりつつある。とすると、現在の日本の状況に応答しようと試みる政治的思考は、いまや日本の特殊な文脈にとどまらない普遍化可能性をも持ちうるはずである。

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UTCPの活動として実施された2008年2月14日から18日までの韓国訪問は、日本と韓国における経験のそうした共有可能性が今日どの程度まで存在しているかを検証する旅であったと言える。まず印象として持ったのは、軍事政権下での民主化闘争が80年代まで繰り広げられていた韓国では、近年まで、日本よりもはるかに政治的強度を帯びた大学生活が営まれてきたということであり、とりわけその民主化闘争の渦中にあった上の世代の韓国人研究者とのあいだでは、政治経験の圧倒的な違いを否応なく意識することになった。しかし同時に、同世代の若手韓国人研究者に関して言えば、読んでいるテクストや問題意識が極めて類似していることも確認することができた。その限りにおいて、日本と韓国の政治経験が今日では徐々に接近してきているというのは事実であるかもしれない。

しかしなお、両国の興味深い差異も残っている。延世大学でのワークショップ「政治的思考の地平」で行なった口頭発表「法の彼岸、秘密の政治――カール・シュミットの例外状態論の帰趨」で、例外状態の空間が法権利の彼岸に広がりつつあるという仮説を提起したとき、念頭に置いていたのは、今日のポスト・フォーディズム型資本主義が要求してくる人間労働のフレキシビリティの増大であった。具体的には、昨今の日本における非正規労働者の増大や外国人労働者受け入れ問題を顧慮していたのであって、90年代の通貨危機に伴うIMFの支援のもとで新自由主義政策が推し進められた韓国でも、同様の問題が話題にされるだろうと期待された。

しかし、韓国側の研究者から寄せられた応答のなかでは、例外状態ということで、文字通り、労働者の抗議活動を取り締まる韓国の警察機関の直接的暴力性、あるいは、分断状態にある韓国と北朝鮮のはざまにある無国籍の非武装地帯(DMZ)が問題とされた。こうした予想外の応答から、日本と韓国の政治経験になお取り消しがたい差異があることも分かり、いかにグローバル化が世界の平均化を推し進めているように見えようと、歴史経験の固有性はなお抹消しえないことが認識できた。

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人はつねに他者の共感や同意を獲得すべく、自らの経験を普遍化するような議論を構築せねばならない。にもかかわらず、それに対してまったく予期せぬ反応が返ってくるとき、今度はそうした他者と、普遍性においてではなく、経験の固有性において出会うことになる。今回の韓国訪問で体験することができたのは、まさにこうしたことである。普遍性と特異性の双方に公正であろうとするような、他者へのそうした二重の開かれこそ、およそいかなる思想交換が行なわれるさいにも忘れてはならない態度なのだろう。

私にこのような体験をする機会を与えてくれたUTCPに深く感謝する次第である。UTCPは、研究者にとどまらない多くの人々に開かれ、さまざまな出会いを可能にしてくれる稀有な場であった。UTCPのメンバーになる人たちはもちろん、そうでない人たちもまた遠慮なく、このUTCPという場を最大限に利用して、そこでの経験を生かしてほしいと思う。

大竹弘二

大竹弘二さんのUTCPでの活動履歴 ⇒ こちら

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