【報告】第1回こまば脳カフェ
2009年4月21日、第1回こまば脳カフェを開催しました。
UTCP中期教育プログラム「脳科学と倫理」グループではこれまで脳科学の進展に伴い生じうる倫理的問題を検討してきました。倫理的問題はそもそも社会において発生するものであり、誰ひとりそれと無関係ではありえません。したがって脳科学と倫理の問題についてもさまざまな領域の専門家が、さらには一般のひとびとが議論に参加することが可能でなければなりません。とくに脳神経の複雑なメカニズムは容易に記述できるものではなく、また専門家の間で見解の一致しない点も少なくありません。それだからこそ、脳科学について自由に語りあえる場が必要であると我々は考え、このたび「脳カフェ」を開催するに至りました。
(文責::中尾麻伊香)
【第1回こまば脳カフェの報告】
新学期を迎え、にわかに活気づいたキャンパスが少し落ち着きを取り戻した4月の終わり、初年次活動センターにおいて、東京大学UTCPこまば脳カフェ実行委員会と東京大学教養学部基礎科学科科学史・科学哲学研究室の共催による第1回こまば脳カフェ「しなやかな脳 柔軟な社会」が開催された。
東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻の菅野康太氏をゲストスピーカーに招き、東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻の関谷翔がファシリテーターを務めた。あいにくの雨にもかかわらず、参加者は約40名にのぼった。
まず、こまば脳カフェ実行委員会を代表して、中尾麻伊香から脳カフェの趣旨等についての説明があり、続けて、あまり一般には馴染みのないファシリテーターの立場について関谷翔が紹介し、ゲストスピーカーによる提題へと移った。
提題では、まず、オスがメスではなくオスに性的興味を示すサトリ遺伝子、ホルモン処理、脳の部位特異的破壊などによってラットの性行動が変化するなど、ゲストスピーカーが学部時代に行っていた脳の性分化の話題に触れた。次に、現在の研究テーマであるドーパミントランスポーター1(DAT1)遺伝子の最後尾に位置する繰り返し配列に見られる多型の説明がなされた。この繰り返し配列はDAT1遺伝子の発現に関与しており、多型間で注意欠陥・多動性障害(ADHD)やアルコール依存を示す割合が異なっているという報告もある。このような研究が進めば、特定の物質等に依存しやすい人、またはそうした依存状態から脱却しにくい人などの個人差が明らかになり、依存に陥らないための適切な予防や、依存から脱却するための適切な治療が個々人の持つ遺伝的性質に基づいて行えるようになるというのがゲストスピーカーの見解であった。そうすることにより、精神的に弱いから、忍耐力がないから依存に陥るのだ、依存から抜け出せないのだとする態度以外を模索することができるとの見解が示された。
以上のようにみてくると、「遺伝か環境か」という二分法のうち、遺伝・氏が人の性状に決定的であるような印象を受けるかもしれない。しかし、親から良くケアを受けた仔はストレス耐性があり、凶暴性が低く、親になったときに自分の仔に対しても良くケアをするというラットの実験から得られた結果からは、遺伝・氏だけが決定的要因でないことが示唆される。最新の知見によるとヒトでも同じようなことが言えるという。「遺伝か環境か」といったナイーブな二分法を棄却し、エピジェネティック(epigenetic:塩基配列の変化を伴わずに、遺伝子発現量が変化し、細胞状態等が変化すること)な要因や可塑性も考慮することにより、遺伝要因も環境要因もともに科学で扱うことが可能になっていること、そしてその重要性が指摘された。経済危機や不況が叫ばれる昨今だが、経済状態の悪化と気分障害との間にも相関関係があること、通常、生存率は男性よりも女性の方が高いが、戦前の日本では女性よりも男性の方が生存率が高いという逆転現象が起こっていたことなどを傍証に、社会環境が脳・神経状態と密接にかかわっていることが示された。
脳・神経科学の進展とともに、精神障害を抱える、あるいは精神障害に陥りやすい人々に気づきやすい社会、適切な処置が可能な社会へと変化し、また、そのように社会が変わることで精神障害などの脳・神経に関する疾病や障害に罹りにくい環境を作り出すことが可能であり、そうしていくべきではないかと提起された。
約30分の提題ののち、参加者がより自由に会話することが出来るようにレイアウトを変更し、フリートークセッションに移った。そこではまず、遺伝的要因が大きいと言われる自閉症が近年増えていることの要因として何が考えられるかという質問があげられた。自閉症という名前自体に語弊があることなどにも触れながら、自閉症が広く認知されるようになったこと、診断基準が明確になったことなどが要因としてあげられた。また、適切な処置を行うために、精神障害をできるだけ早期発見するために、例えば小学生を対象にしたカウンセリングを導入すべきか否かについての議論も交わされた。さらに、就職活動中に適性検査の一部としてある種の精神検査がなされていることの問題性など、すでに社会の中である程度普及しているテストについての議論が交わされた。
約1時間半、コーヒーを片手にアットホームな雰囲気の中、さまざまな話題について活発な談話がなされ、大変有意義なサイエンスカフェであった。
(文責:関谷翔)