【報告】「海域東アジアの近代エクリチュール」
3月17日、ワークショップ「海域東アジアの近代エクリチュール」が開催された。セミナーは、関詩珮氏(シンガポール南洋理工大学)、呉燕氏(中国曁南大学)、吉川雅之氏(東京大学)、斎藤希史氏(東京大学)をお招きして、発表がおこなわれた。
まず関詩珮氏は「林紓の翻訳――ハガード少年文学と晩清少年文学:殖民主義と中国における国族概念の成立――」を題目として発表を行った。ヘンリー・ハガードの小説は、晩清のもっとも重要な翻訳家林紓により中国に紹介され、ハガードの名は晩清における翻訳作家の第二位に位置づけられた。しかし、イギリス帝国主義が拡張していたヴィクトリア時代に生産され、明らかに殖民主義意識を帯びたハガードの小説が、アヘン戦争以降、植民地主義の脅威と蹂躙を受けている晩清中国において流行した原因はなぜか、しかも、極度に男性性を煽るようなハガードの小説と、一貫して女権や女性教育といったものを提唱していた訳者の林紓の主張とのずれをどのように理解すべきであろうか、と関詩珮氏は疑問を付した。関氏によれば、そこには複雑な文化調整の構造があって、殖民主義文学がここに密かに入り込んで、国族という概念の道具となるまでに至り、「人の概念」がいまだ成立していない時期にあっては、あまりに高説にすぎる女性教育および女権といったものは、帝国および種族永続のための大きなカモフラージュだったのである。
続いて呉燕氏が「1910-1920年『小説月報』における「翻訳」に対する命名と実践」と題して発表を行った。呉燕氏は1910-1920年『小説月報』を取り上げ、その中にある「訳」に対する種々な命名とその内包を分析することによって、原文中心ではなく、むしろ改作ないし一種の「創作」とも言える「訳述」を代表とするさまざまな翻訳活動は、翻訳者・読者・編集者と雑誌という三方の「翻訳」に関する定義と期待の絡み合いの中に登場しており、当時中国の文化エリートたちが強い西洋文化に面して、自分自身の言説主体としての資格を維持しようとした策略の徴であると指摘した。
続いて吉川雅之氏は「台湾における盲人用文字の改革――文字記号の継承と現地化」を題目として発表を行った。吉川氏は、まず現在台湾で少数の人々に用いられている台湾語点字は台湾人である黄愿聰らが20世紀半ばに考案したものであるが、前身として1890年代にはイギリス長老教会伝道局のキャンベル(William Campbell, 1841-1921)の手になる、欧州のシステムがアジアへ拡張するに及んで生じた言語の表音文字化という動きの一支系に位置づけられる厦門語点字に連なるものであり、さらにそれより以前には厦門語線凸字が1880年代に存在した、という史的発展を跡付けた。これを踏まえ、吉川氏は、台湾語点字では点字法という側面でこそ「教会ローマ字を正書法とした記号化からほぼ完全に脱皮」しているが、点字という媒体そのものは欧州のシステムを継承し続けている、と指摘した。
最後に斎藤希史氏は「上海美華書館活字と翻訳」と題して発表を行った。斎藤希史氏は1869年に上海美華書館(American Presbyterian Mission Press)から出版された『天路歴程』を主な例として、宣教師による漢字活字の開発を追跡した。『天路歴程』の活字本は、美華書館による印刷技法革新の成果として登場したものであり、その本文に用いられているのは、ガンブル(William Gamble, 姜闢理)によって新たに電胎(電鋳electrotyping)法で製作された、我々の馴染み深い五号活字(Small Pica)である。さらに、活字鋳造と翻訳出版活動との関わり、とくに、新しいエクリチュールとしての口語文体を推進したこと、そして、洋装本と活版印刷を用いている翻訳書の文明の情報を伝達する新しいメディアとしての役割を果たしたことなどを検討した。
東アジアの近代エクリチュールを捉え直そうとする際、翻訳はよく取り上げられるテーマであるが、盲人用文字、そして漢字活字のような一見近代以降の欧州のシステムがアジアへの拡張に関与しないようなものも、実際深く関わっている。東アジアの近代エクリチュールを理解するために、さらなる解明が求められている。
(文責:喬志航)