【報告】「東西哲学の伝統における「共生哲学」構築の試み」第2日目
台湾大学哲学系とUTCPの共催で実施された国際シンポジウム「東西哲学の伝統における「共生哲学」構築の試み」の第2日目の報告です。
3月29日、中島隆博氏(UTCP)は「否定政治学と共生哲学――西田幾多郎と新儒家」を題目として基調講演を行った。
中島隆博氏は、否定政治学を越えて、共生の哲学を切り開こうとするために、日本を代表する哲学者である西田幾多郎と、中国・香港・台湾で活躍した新儒家の哲学者の言説を取り上げ、焦点を、哲学と政治の関係に絞って論じた。
中島氏によれば、西田幾多郎と牟宗三が、哲学と政治の関係を問い直すとき、両者ともに自己否定・自己無化といった否定政治学に陥り、西田の場合は、それが現状の絶対的肯定となり、牟宗三の場合は、「有執」の自覚的肯定となった。つまり、二人が辿り着いたのは、現実をそのまま高次の政治秩序と見る否定政治学であったのである。これに対して、共生哲学が目指している政治は、決して現状を肯定するようなものではなく、現状に対する根底的な批判(クリティーク)にほかならず、また同時に、否定政治学と異なり、現状には存在しない、来るべき政治的な秩序を構想するものである、と中島氏は主張した。共生哲学とは、批判のための批判に止まるものでは決してなく、また、政治的な秩序だけでなく、文化のあり方にも及ぶものである。容易なことではないが、真の共生空間を発明していこうとう私たちの努力が求められていると中島氏は提唱した。
(以上、文責:喬志航)
第五セッションの発表者は新潟大学の宮崎裕助準教授と東京大学総合文化研究科博士課程の斉藤拓也氏である。発表タイトルはそれぞれ「Another Possibility beyond the Negative Politics in Democracy: Jacque Derrida’s concept of “ Decision“ and “Responsibility”」と「The Political Meaning of Kant’s Concept of Enlightenment」である。
宮崎氏の論稿は、まずカール・シュミットの自由民主主義批判から始める。周知のようにシュミットは議論ばかりしていて、なかなか決断しない現代自由民主主義を政治的ロマン主義、機会主義と批判している。そのようなシュミットの批判に対して、宮崎氏はカール・レーヴィットのシュミット批判を紹介しながら、機会主義の原理に依拠する限り、シュミットの批判自体が自己矛盾するというレーヴィットの批判の有効性を認めた上で、その不十分さも指摘する。それよりもっと有効な決定論批判だと宮崎氏が考えるのは、ジャック・デリダの後期作品に現れる関連思想である。具体的な議論の展開は一々ここで縷説できないが、結論だけを紹介すると、宮崎氏の議論の目的は、レーヴィットとデリダによるシュミット流決定主義批判を検討することによって、シュミットのような決定主義とは違うもうひとつの政治の「肯定的な」可能性を模索することにある。その中で氏から見れば、デリダの批判がより有効である。なぜならば、デリダが真に決定という名に値するその理由を考察することによって、彼が開示したいのは、所与の法律的な条件を超えて、他者への責任を無限に思考することの可能性である。これによって、「私」の決定と責任を他人に任せることもなく、むしろ決定の自由が「私」という主体の可能性より更にオープンになり、事件として起こるように決定を下す機会を新たに作ることにもなる。これが宮崎氏の言うもうひとつの政治の可能性、つまり、否定的でもなく肯定的でもない、デリダの主張する決定と責任の観念をともに深く探求する方向である。
斉藤拓也氏の発表は、政治思想史の視座からカントの啓蒙概念の政治的意味をめぐって展開される。フーコーが最晩年に書いた「啓蒙とは何か」という有名な論文から始めたこの考察は、フーコーの啓蒙に関する思想を紹介する形で、カントの啓蒙に関する思想の今日的重要性を明らかにしている。その後、カントが考える啓蒙の具体的な意味とは何かについて考察が続く。ここでは、斎藤氏はカントの啓蒙理念が「真の思惟方法の改革」という本質を紹介した上で、啓蒙と政治、倫理、宗教などの関係に言及し、カントの啓蒙理念の豊かな多面性を明らかにしている。結論の部分では、斎藤氏は啓蒙がカントの宗教と政治関係の著作に占める重要性を指摘しつつ、カント流啓蒙理念は政治と倫理の枠組みを修正する役割も持っていると主張する。但し、斉藤氏からみれば、その啓蒙の実践が難しい。「啓蒙とは何か」という難問は、必然的に「啓蒙の実践はいかに可能か」という問題につながると氏は説明する。正にこれが今後の難しい課題として残っている。啓蒙という古くて新しい哲学上の重要な課題に新たに照明を当てた論稿である。
第六場の発表者は日本学術振興会PDの御園生涼子氏とUTCP共同研究員の王前である。それぞれの発表タイトルは、「The Politics of Rhetoric: Miki Kiyoshi’s Idea of the “Asian Cooperative Society”」と「アイザイァ・バーリンと丸山真男におけるナショナリズムの思想」である。
御園生氏は、発表の中で三木清を例に、1930年代の日本の知識人によって形成された思想の枠組みについて論じている。即ち、当時の彼らが考えていたナショナリズム、倫理性、普遍主義と地域主義、過去と現在などをめぐって御園生氏の考察が展開されている。具体的には、三木清のその時期に書いた二つの代表的な論文が取り上げられている:「現代日本に於ける世界史の意義」と「「東亜思想の根拠」である。それらを細かく分析した上で、三木清の東アジア共同体についての議論は当時日本の知識人の思想のフレームワークを非常によく体現していると御園生氏は指摘する。同時に御園生氏が強調したいのは、三木清の論稿が発表されたのは新聞やポピュラな知的総合誌であり、狭いアカデミの世界だけでなく、一般民衆をも対象にしている。言いかえれば、三木清は現実の政治状況の中で活躍した知識人として、当時の一般大衆が最も関心を持つことに答えるために、思想の文化的、政治的な枠組み形成に貢献したのである。
王前の発表はリベラルなナショナリズムが可能かという問題をめぐるものである。彼が依拠したのは丸山真男とアイザイァ・バーリンのナショナリズムに関する諸論考である。丸山真男は戦後日本におけるナショナリズムとデモクラシーの結合を提唱した思想家としてもよく知られている。彼から見れば、近代日本のナショナリズムの特殊性により、第二次世界大戦が終わるまで日本はイギリス等の民主主義先進国のように、デモクラシーとナショナリズムの結合が出来なかった。この二つの主義の結合が出来ないと、健全なナショナリズムが育たず、デモクラシーの確立も困難になるので、戦後こそ両者の結合を完成させるべきだと丸山は主張する。発表者も基本的に発展途上国において、そのような姿勢が必要だと考える。バーリンは真正面からリベラルなナショナリズムを論じたことがないが、現代社会におけるナショナリズムの甚大な影響力に注目した思想家として知られている。自由主義の代表的な思想家としての彼は、人間と社会の健全な発展のためにナショナリズムの存在価値を認めている。極端化したナショナリズムの弊害を警戒しつつ、ヘルダーのナショナリズム論を援用して、現代におけるナショナリズムの必要性を主張したバーリンのそういった思想は今日でも意味があると王前は見ている。結論としては、リベラルなナショナリズムは実践上困難な面があるにもかかわらず、丸山とバーリンの思考からも分かるように、少なくとも理論的には不可能ではない。むしろ人間性の限界を見据えた上での現実的な判断であると言える。
(以上、文責:王前)
第六幕は、喬志航(UTCP)、安井伸介氏(台湾大学)が発表を行った。
喬志航(UTCP)は「清末民初でのルソー受容」と題して発表を行い、清末民初の中国におけるルソーの理論の受容を考察しようとした。十九世紀最末期から二十世紀初頭にかけて、ルソーの理論の受容は中国人の間で最初のピークを迎えていた。ルソーの名が頻繁に雑誌や新聞などで登場し、「民権」はもっぱらルソーの「民約論」によって代表させられていたほど、ルソーの理論は知識界を風靡した。ところが、民権の論陣を張ったこれらの論者の多くは、やがて国権論の立場に吸収されていき、民権についての関心も憲法における国民に権利義務の規定へと収斂していくことになった。この発表は、清末民初の中国においてルソーの思想が受容されるに際して、提唱者たちの、中国における「民権」と「国権」という問題をめぐる思考の軌跡を跡付け、分析を加えることを課題としたものである。
安井伸介氏(台湾大学)は「一元的倫理秩序――中国アナキズムの倫理観――」を題目として発表を行った。安井氏によれば、「三綱」、宗教などの「偽道徳」にとどまらず、道徳そのものでさえも否定したように、道徳を激しく批判した中国アナキズムは、実際には根深い道徳主義を抱き、その道徳主義に基づいて未來の理想社会を構想した。安井氏は倫理と秩序との関わりに絞って、中国アナキズムの倫理観を考察し、中国アナキズムの倫理観が一元的であり、つまり、人々の衝突を解決するために、矛盾や対立などの多元状態を均質的一元的な状態に変えることによって秩序を立てることだ、と指摘した。しかしながら、本来、多元性こそが倫理問題の前提であり、中国アナキズムは問題の前提を取り消したことによって問題を解決しただけで、理論上に大きな欠陥がある。これを踏まえて安井氏は、秩序の問題に対して、「共生哲学」は如何なる答えを出せるかという質問を以て発表を締めくくった。
(以上、文責:喬志航)