【旅日記】シナイ半島の歩き方 第2回 ヌエバア
太田啓子のシナイ半島旅日記の第二回です。今回は、一日かけてヌエバアからフェリーに乗ってアカバ湾を渡る旅路です。
3/12(木)
朝5時に起床。海岸に行ってアカバ湾からのぼる日の出を見る。方角的に、ヌエバア側からは日の出しか見えない。アカバ湾を渡ってアカバ側に行ったら今度は海に落ちる日没を見る予定。8時過ぎに宿を出て、町の北方15分ほどのところにあるタラービーン村へと向かう。ここにはマムルーク朝期の要塞がある。エジプトの場合、イスラーム期の史跡については現地の人に訊いても場所はおろか、存在すら知らない場合が多いが、ここは村の人に尋ねたところ、比較的簡単に見つかる。この要塞は16世紀にマムルーク朝第26代スルタン=カーンスーフ・アルガウリー(位1501-16)により、巡礼ルートおよび国際商業ルートの要所であったこの地の守備を目的として建てられた。現在は修復中。スルタン=アルガウリーは他にも対ポルトガル戦に備え、ジッダの市壁を再建している。
9時過ぎにタクシーでヌエバア港へ。ここはヨルダンのアカバへと渡るフェリーの発着所であり、エジプトからヨルダンに渡り、ペトラ遺跡を目指すバックパッカー達の集まるところでもある。ガイドブックでは「スピードボートで1時間、スローボートで3時間の航海」などと書いてあるが、はっきり言ってこれが一日がかりの大仕事である。まずはフェリーのチケットオフィスへ。9時から乗船券を販売しているのだが、すでに人だかり。エジプト人は基本的に並ばないので何が何やら分からないが、「並ばない」ということは「私が一番♪」ということと同義なので一番前に割り込む。スピードボートの乗船券は米ドル払いで70ドル。プラス、外国人はもう10ドルもしくは50ポンド(≒1000円)払わなければならない。この旅一番の出費である。何とか乗船券を入手、出航は「今日は」2時なので1時に港に来るようチケットオフィスの人に言われる。特にすることもないのでヌエバア港の前のカフェで時間つぶし。
指示通り1時に港へ行き、手荷物検査。その後パスポートコントロールにて出国手続きを済ませ、待合室へ。ひたすら待って5時前に乗船、5:30頃出航となる。この程度の遅れは想定内。外国人バックパッカーは船内で一ヶ所に集められ、ヨルダンビザ取得についての説明を受け、パスポートを預けさせられるが、日本人は2週間滞在可能のシングルビザに関しては無料で取得出来るので、パスポートは預けない。
7時過ぎにアカバ港に到着。下船後、港の銀行でお金をヨルダン・ディーナールへ両替した後、タクシーでアカバ市内へ。宿を探して荷物を置いた後、食事に出る。ヨルダンもエジプトも町中で普通の人が食べているものはあまり変わらない。今日の晩ご飯はロズ(ライスに極細の短いパスタが入ったもの)に鶏肉の炭火焼きグリル、オクラと羊肉の煮込み、トルシー(野菜のピクルス)とアエーシュ(ピタパン)の定番メニュー。アカバはエジプトからのメッカ巡礼者の受け入れ口となっているせいか、町中のいたるところに「Mecca Travel」「Holy Exchange」などの看板を見かける。
ホテル、レストランなどにもメッカ、カアバ神殿の写真が多く飾ってある。また、ヨルダン王国は1923年にサウド家によってメッカを追放されたシャリーフ(預言者ムハンマドの子孫)のアブダッラー・ブン・フサインがイギリス委任統治領であったヨルダンに迎え入れられて成立したトランス・ヨルダン王国に端を発するが、やはり町中のいたるところに、現国王の写真を見かける。
それどころがアブダッラーの父親であるメッカの太守フセイン以降の王族の写真全てを飾ってあるところもある。パレスティナ難民とその子孫が国民の7割を超えるという、国民国家としての基盤の脆弱なこの国で、外来王朝であるヨルダン王室はどのような役割を担っているのか、また彼らがシャリーフである、ということはどのような意味を持っているのか……などと思いをめぐらせつつ夕食を済ませ、宿に戻る。
(文責:太田啓子)