Blog / ブログ

 

【報告】UTCPワークショップ "Philosophy of Perception: Being in the World"

2009.03.13 村田純一, ジョン・オデイ, 小口峰樹

3月5日から7日にかけての3日間、哲学者と認知科学者との共同討議を目的とした知覚哲学に関するワークショップが開かれました。以下この時の様子を簡単に報告しておきます。

このワークショップは、本学の広域科学システム系に属している複雑系科学の研究者、池上高志さんとわたし村田とが昨年から一年がかりで案を練りながら計画してきたものである。準備という意味も込めて、昨年夏には、池上さんの講演や今回参加してもらったEzequiel Di Paolo(サセックス大学)さんの講演がやはりUTCPの企画として行われた。今回のワークショップはそうした準備の上に、国内外から14名の研究者に集まっていただき知覚を中心とする問題に関して集中的に議論するために計画された。哲学的問題に関心を持っている複雑系科学の研究者、ロボット工学者、心理学者らと、認知科学や心理学に興味を持つ哲学者のあいだでどこまで実質的な議論ができるか、これを確かめてみようとする挑戦的なワークショップであった。

プログラムをご覧いただくとお分かりのように、毎日、10時から午前中に2名の発表と議論、午後は、2時から1時間半の間に実験の体験や討論の時間、そして4時から3名の議論という仕方で行われた。1日目の午後に実験を体験する時間を設けたり、2日目の午後と3日目の最後に1時間半の討論のみを目的とした時間を設けて、問題の共有と議論の徹底化のための枠を設けたりしたことがひとつの特徴であった。


ワークショップの趣旨は大体以下のとおりである。

この20年近くの間に、知覚の哲学、心の哲学、そして認知科学の哲学の分野では、古典的な認知主義と内在主義のパラダイムに代わる心と認知に関する考え方がさまざまに提出されてきた。ギブソン流のエコロジカル・アプローチ、現象学の成果を取り入れたエナクテティヴ・アプローチ、技術哲学的観点をも取り入れて人工物の持つ認知に対する構成的機能を強調する「拡張する心(Extended Mind)」という見方、表象なしの認知を強調する力学的アプローチ、など、それぞれが相互に関係しながら展開されてきた。そして今では、現象学に関心を持つ哲学者やさまざまな分野の認知科学者、人工生命の研究者などをも巻き込んで、この「オールタナティヴ・アプローチ」が大きな流れを作っている。

00.jpg

そのなかで、ひとつの大きな問題があらためて問われることになった。心と意識を環境との相互作用のなかに置く見方を首尾一貫としたものにするためには、どうしても、有機体が環境と相互作用する生命的存在のレベルと現象学が問題とするさまざまな意識現象のあり方のレベルとをどのように結びつけることができるか、という問題に見通しをつけねばならなくなる。これは、心身問題そのものともいうことができるが、こうした哲学の根本問題に、現在では、哲学者のみならず、複雑系システムを扱う科学者、認知科学者もさまざまな仕方で取り組んでいる(例えば、Evan Thompsonの著作Mind in Life、あるいは、Andy Clarkの著作Supersizing the Mindなどで議論されている内容が典型例だろう)。
今回のワークショップでは、おもに知覚にかかわる現象を取り上げて、この問題に集中的に取り組むことにした次第である。

14.jpg

今回ワークショップに集まったのは、哲学者の方でも、また、認知科学者の方でも、先に挙げた「オールタナティヴ・アプローチ」といえるような見方を共有する研究者であった。したがって、哲学者と認知科学者との間で大きな見方の共有ができていたということもできるが、他方では、実験やシミュレーションを通して問題を考える科学者と、他方では、哲学の枠組みのなかで考える哲学者のあいだで相互に刺激し合う議論を行うことは必ずしも容易ではないことも確かである。しかし今回集まった科学者はほとんどがDi Paolo氏が現在属しているサセックス大学の哲学と認知科学の学際的なセンターに多かれ少なかれ関係した事のある研究者であったために、皆が大変敏感な哲学的センスを備えた研究者であり、議論をする上で、ほとんど垣根を感じることはなかった。

19.jpg

議論の中心に置かれたのは、エナクティヴ・アプローチと呼ばれる見方で、「感覚と運動との循環構造」によって知覚が成り立っているという考え方の意義と射程を様々な見地から批判的に検討することが行われた。議論に取り上げられた内容は以下のようにじつに多様であった。知覚と行為との関係、生命過程から知覚過程の成立のプロセス、知覚における能動性と受動性、「ラバーハンド・イルージョン」と呼ばれる視覚と触覚の関係から生まれる錯覚の問題、感覚のモダリティの区分をめぐる問題、油滴を使って生命とは何かを研究する見方のような人工生命論のなかでの知覚問題、エコロジカルなアプローチにおける錯覚の扱い方、ロボット製作における表象の必要性の再検討、社会的知覚の直接性と媒介性、他者の行為者性の知覚をめぐる実験と理論、意識や思考をめぐるエナクティヴ・アプローチの批判的検討、エコロジカル・アプローチにおける存在論の検討など、実にさまざまであった。しかし先にも述べたようにこうした多様な話題を取り上げながらその議論の仕方はじつに活発で、またじつに哲学的に鋭いものであり、参加者一同、最後まで時を忘れて議論を楽しみながら集中的に続けることができた。

09.jpg

ただし議論が活発であったということは、かなり率直な仕方での、あるいは厳しい仕方での批判的討議が行われたということである(実際、日本人同士ではなかなか難しいと思われる場面もあった)。わたしの経験では、日本で行われる多くのワークショップやシンポジウムでは、特に学際的なものであればあるほど、発表時間が多すぎるため討議の時間がなくなったり、あるいは討議といっても質問してご意見を拝聴し、「勉強させていただきました」という仕方で終わり、会の「成功」が語られたりすることがほとんどである。そうしたあり方とは違った本当の意味での「ワークショップ」に近いものを実現したいということが今回の目的だったので、もちろん限界はあったが、少なくともこの点では、ワークショップの第一の目的は達成できたといってもよいのではなかろうか。

しかしはたしてこうした共同研究の場が継続的な仕方で定着しうるものとなりうるかは、楽観できない。世界的に見ても、多くの哲学科で認知科学との共同研究センターを設けることがここ20年近くブームのように行われてきているが、実質的内容を持つ研究がなされることはそれほど容易ではないようである。日本では残念ながらほとんどそうした研究のあり方が見られないままいま現在に至っている。今後、遅ればせながら、今回のような機会が日本でも多く実現し、科学者と哲学者との共同研究の場が少しでも定着していくことを願っている。

村田純一

20.jpg

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 【報告】UTCPワークショップ "Philosophy of Perception: Being in the World"
↑ページの先頭へ