時の彩り(つれづれ、草) 063
☆ 林義正先生(台湾大学)
昨日、台湾大学で行われたシンポジウムから帰国。とはいえ、わたしは初日の基調講演を行って1日参加していただけで、シンポジウムは今日まだ続いている。
シンポジウムの内容はまた報告が出ると思うが、わたしとしては、夜の会食で、台湾大の林義正先生と議論が盛り上がったのが楽しかったですね。林先生とは台湾大のみなさんが昨年7月にこちらにいらしたときにお会いして、そのときもパーティの席で陰陽原理について討論したのを思い出す。そのときのわたしの基調講演はカフカの「法の前」をめぐるトピックだったが、それを踏まえた漢詩を毛筆でさらさらと書いてくれたりした。
今回も大学構内のイタリアン・レストランのテーブルをはさんで、王前さんのすばらしい通訳のおかげだが、まずは「禮」についての議論、その後は、こちらが「脱構築とはなにか?」についての「講義」(?)とビールを飲みながら楽しく盛り上がりました。翌日、空港へ出発する前に挨拶にうかがったら、御著書『孔学鈎沈』をくださった。表紙をめくると七言絶句の詩とともに献呈の辞。この東洋的な応酬が素敵です。こちらも頭をひねって詩をつくらなくては・・・・!
☆ スティミリ先生
その台北行きの飛行機のなかでわたしが読んでいたのが、1月とそして間をおいて3月にまたいらしたダビデ・スティミリ先生の論文。
1月にいらしたときに差し上げたわたしのコレクションUTCPを読んでくださったみたいで、そのなかのひとつでわたしがカフカとベンヤミンを論じているのに反応して、米国から自分の論文のコピーを送ってくださった。1994年の『Litteraria Pragensia』誌掲載の「Was Kafka a Saint?」という論文。カフカにおける「祈り」の問題を扱って最後はベンヤミンが引用しているマールブランシュの「注意」に突き抜けるところは、わたしがほとんど同じ時代に考えていたことと似通っていて、もちろんスティミリ先生のほうがずっとエレガントで深いけど、同じ「思考の波」に乗っているなあ、と不思議な感覚。思考というのは、ほんとうには孤立しているのではなく、まさに「時代と無意識」!、どこかでひとつの「波」のように共有されているものかもしれない。もちろん、それを「友愛」と呼んでいけない理由はない。
☆ 年度末
で、台湾シンポジウム・チームは明日帰国するわけだが、今年度のUTCPの活動もどうやら無事終了。
われわれの活動の成果の一部は、この3月に怒涛のように出版されたブックレットやコレクションUTCPとしても結実している。多くの人が次々と訪れ、またわれわれも世界のあちこちに出かけて行って発表をした1年。COEという特別な資金なしにはできない活動のスタイルがようやく世界的に定着してきたことを感じた1年だった。リーダーとして、みなさんにご苦労様を言うことにしよう。来年度はもう明後日からはじまる。歴史に休日はない。