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【旅日記】シナイ半島の歩き方 第1回 トゥール

2009.03.27 太田啓子

3月9~23日の約二週間、エジプトを訪問した。目的は史料調査・図書収集だが、滞在期間のうち11~17日の一週間をシナイ半島の港町を訪れるのに費やした。文献史料ではおなじみの地域だが実際に訪れるのは初めてだったので嬉しく、心躍る旅だった。これから全5回に分けて道中のあれこれをブログ報告として記したい。シナイ半島を個人でまわりたいと考えている(奇特な)人には何か資するところがあるかもしれない。なお、とにかく移動時間が長い旅だったので私はずっとiPodでSHAKIRAの『Laundry Service』+「Hips don't lie」を聴いていた。気分を出したい人は聴きながら読んで下さい。

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3/11(水)
カイロ・トルゴマーンバスターミナル6:30発のシャルム・イッシェイフ行きイーストデルタバスに乗る。シナイ半島を個人で移動する場合にはイーストデルタバスのような長距離バスでの移動が基本だが、本数が限られているため必要に応じてセルビス(中・長距離マイクロバス)、タクシーを組み合わせることになる。ちなみにトゥールまでは52ポンド(1040円:1ポンド≒20円)。6時間乗ってこの料金は安い。10分遅れの6:40に出発、二時間かかってスエズに到着した後、海底トンネル(!)を通ってシナイ半島へ。

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(バスの休憩所)

アイン・ムーサー、ラアス・サドルを経由してトゥールへと向かう。途中何度も軍の検問所を通り、その度にパスポートを提示する。元々シナイ半島は政治的軍事的要所であり警戒が厳しい地域だが、2004年10月にヌエバア、ターバー、ラアス・アッスルターンで、2005年7月にシャルム・イッシェイフで、2006年4月にはダハブで連続爆弾テロが起きるなどの治安の悪化を受けてますます緊張が高まっているように思える。検問所の写真を撮ろうと思ったが銃口がこっちを向いていてとても撮影出来る雰囲気ではないので、検問所隣にあった警備兵のための礼拝所を撮影する。

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(検問所隣の礼拝所)

12:30にトゥールに到着。ここは12~16世紀半ばにかけて国際商業港、巡礼港として繁栄した港町であり、金貨、土器、ガラス器、イスラーム陶器、中国陶磁器など往年の繁栄を物語る数々の遺物が出土している。その後一時的な衰退期を経るも1869年のスエズ運河開通にともない検疫所、聖カテリーナ修道院分院が建設され、メッカ巡礼の公式経由港に指定されるなど、かつての繁栄を取り戻した。1967年の第三次中東戦争でシナイ半島はイスラエルに占領されるが、1982年にエジプトに返還され、現在に至る。

さっそくバス停前でタクシーを拾いトゥール・キーラーニー遺跡へ。タクシーの運転手はシナイ半島のベドウィン。遊牧では食べていけなくなっているのでラクダを車に乗り換えてタクシー運転手となっているベドウィンは多い。トゥール・キーラーニー遺跡は1985~1996年にかけて財団法人中近東文化センター・イスラーム・エジプト考古学調査隊(調査隊長:川床睦夫・元中近東文化センター主任研究員、現イスラーム考古学研究所所長)による発掘調査が行なわれた場所であり、外務省の草の根文化無償資金の供与により建設された展示室付出土品収蔵庫がある。開室期間は夏季に限定されていたため今回は内部を見学することはできなかったが、発掘調査に6年間も従事された調査員のアイマン・ファラマウィーさんから発掘調査活動、出土品についての説明を受けた。

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(展示室付出土品収蔵庫)

紅海文化圏で建築材として多用されたサンゴブロックの実物を見て感動。本当にサンゴそのもの!

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少し残念だったのは発掘サイトおよび展示室付出土品収蔵庫が常時公開されていなかったこと。後述のアカバ・アイラ遺跡(ヨルダン)はアメリカ・シカゴ大学とヨルダンの共同チームによって発掘調査が行なわれたが、発掘サイトおよび出土品ともに常時公開され、現地の人々および観光客に対して当該地域の歴史的重要性および文化財保護の意義を示す格好の物的証拠となっている。将来的にはトゥール・キーラーニー遺跡についても同様となることを期待する。その後、やはり中近東文化センターにより発掘調査が行なわれたワーディー遺跡へ。シナイ半島が歴史的遺産の宝庫であることを実感する。

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特徴的な形状で、船乗りの日和山であったハンマーム・ムーサー山を見ながらバス停へ。興味は尽きないが、この日にトゥールからヌエバアに向かうバスは15:00発の一本のみとのことなので、遅れると困ったことになる。

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(ハンマーム・ムーサー山)

30分遅れの15:30出発でヌエバアへ(30ポンド≒600円)。イスラエル占領時代に作られたエジプト随一のリゾート地であり、エジプトで一番物価が高い町と言われるシャルム・イッシェイフを横目でにらみつつ素通りし、20:00にヌエバアに到着。この日はここで一泊。

(文責:太田啓子)

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