1月のUTCPイベントに参加して
ジャーナリストの松浦茂長さん(日本記者クラブ会員・元フジテレビ解説委員)が1月に行われた大宮勘一郎さん、十川幸司さん、ジョン・マラルドさんの講演に参加なさって熱心に聴いていらっしゃいました。小林康夫がお願いして、ブログ用に感想文を書いていただきました。
現代哲学には門外漢のジャーナリストですがUTCPの催しに参加するたびに興奮させられます。
大宮先生がモーツアルトの『魔笛』を避けたのは残念でした。ザラストロの歌が世にも退屈で、いかがわしい男にしか聞こえないのにくらべ、夜の女王は圧倒的な音楽とともに登場します。モーツアルトが死ぬ前に口ずさんだのはパパゲーノのアリアだったという話を聞きましたし、なんといっても魔法の笛は夜の女王の贈り物ですし、分身の側に本物があるのは明らかではないでしょうか。それにしても分身の側に倫理性と永遠を求める読みは新鮮でした。とりわけ精神病患者の分身妄想が周囲に倫理的覚醒を促すという話は胸を打つものがあります。僕は身近に精神病患者がおり、若いころから彼らの方こそ本物だと感じさせられる機会が多かったせいかもしれません。
ジャーナリストとしてはっとさせられたのは、「群れ」という言葉を大宮先生が大切に語られたことです。僕のパリの旧友たちは68年世代ですから、若い世代の「保守化」を嘆くのですが、むしろそれは新しい共生のフォルムを探る逞しい試みが進んでいると見るべきなのかもしれません。フランスの若者たちは結婚の知らせをくれなくとも、赤ちゃんができるとカードを送ってきます。パパになるのは格好良いのだそうです。伝統的な共同体は捨てたけれど、一緒に生きる新しい形を模索している。そんな生成の息吹を「群れ」という言葉が捉えてくれるように感じました。
ニューヨーク・タイムズのデーヴィッド・ブルックスは、アメリカ社会が結束cohesionを取り戻し、その結束を政治に取り込んだのがオバマ大統領だと分析しています。「60年代からフェミニズム革命により家族が解体し、市民権運動により社会が分裂し、ベトナム戦争により体制への信頼が失われた。この分裂・破壊は必要であり良いことだったが、犯罪増加などの犠牲をともなった。しかし、いま個人解放の動きは終わり、逆に社会規範normが形作られつつある。若者は社会への奉仕活動に群がってくるではないか。」というのです。たしかにオバマは就任演説で、「責任」よりさらに強い「義務」という言葉を使いましたし、勝利演説は「奉仕」という言葉で始まりました。でも日本はまったく状況が違い、女性も個人も解放途上なので、「群れ」を高く買うのは危険なような気もしますが。
日本で精神分析は可能なのだろうかと疑っていたのですが、十川先生の話を聞き偏見がだいぶ改められました。かつて西独のワイツゼッカー大統領が日本で会見したとき、戦争に対する日独の姿勢の違いについて質問され、「ドイツはキリスト教の伝統をもつ国ですから、私たちは悔い改めて生まれ変わることを信じます。日本は別の宗教伝統があり、違う態度をとるのでしょう」と答えたのを覚えています。歴史認識がユダヤ・キリスト教の<回心>をモデルとしてなされるくらいなのだから、人の心を探るのに<回心>が顔を出さないはずがありません。僕には精神分析が<回心>の模倣みたいに見えて仕方なかったのですが、十川先生のは穏やかで、仏教の覚醒を連想させました。魂の底を浚って古い自己を転移させ、操作し、新しい自己に生まれ変わらせる荒療治が本来の精神分析でしょうけれど、十川先生の「自分が変われば世界が変わって見える。現実は複数だということが見えてくる」というのは、どこか東洋的ではありませんか。
マラルド先生のオートノミーのお話を聞きながら、パリ駐在中のいやな経験を思い出しました。日本から出向してきた特派員がフランス人の助手を連れてデパートに取材に行き、二人ともふくれっつらをして帰ってきた。助手の側は説明もなく人ごみに1時間も立たされたとプライドを傷つけられ憤慨するし、特派員の側は生意気だと怒る。支局長のぼくとしては「フランス人というのは自分が何のために何をするのか納得しないと働けない連中なのだから、面倒でも説明してやってくれ」と、懇願するしかありません。それでも取材のたびに同じ衝突を繰り返し、半年後に優秀な助手を解雇という不本意な結末になりました。日本式に黙って親分に付いて行く式の方がテレビのようなやっつけ仕事には能率的かもしれません。
もっともフランス人もオートノミーが重荷になっている面があるらしく、柔道を教えている文学青年がこんなことを言っていました。「技を学ぶとき『なぜ』と言わせません。はじめは反発するけれど、理由を問わずに学ぶ快さに目覚め、そのうち日常生活まで楽になったのに気づきますよ」とか。主体性にこだわらない方が手っ取り早く幸福になれるのを発見するらしいのです。日本がオルターナティブを提供できるとしたら、哲学・思想のような高邁な世界よりもっと具体的な小さな実践についてかもしれませんね。
松浦茂長
(元フジテレビ解説委員)