【報告】大宮勘一郎「分身―鏡像と木霊の間」
去る1月21日、慶應義塾大学教授の大宮勘一郎氏をお迎えして、「分身――鏡像と木霊の間」と題された講演が行なわれた。
本講演で主題とされたのは、その名の通り、神話の時代から現代に至るまでの諸々の文学作品に見られる「分身」のモチーフである。議論はとりわけ、オヴィディウスの『変身物語』における有名なナルキッソスのエピソードと、現代アメリカの小説家リチャード・パワーズの作品とのあいだの対応関係を中心に展開され、最終的に、分身というテーマが今日いかなる政治的意味を持ちうるかの解明を目指すものであった。
まず導入として、パウル・ツェランの詩を出典とする「君ならざる君Aberdu」という語に注意が喚起された。これは、単に「自己」の二重化の結果として生じる分身としての「君」にとどまることなく、さらにその「君」もが二重化されるという点において、実物と模像との区別そのものを廃棄するような根源的な分割にほかならない。
大宮氏はこの「Aberdu」にも似た構造を、まさにナルキッソス的な鏡像関係のうちに見出そうとする。ナルキッソスが池の水面に見たのは、決して自分の似姿ではない。そこにあるのは、そもそも自己なるものが生じる以前の根源的な分身関係である。ナルキッソスは自己というものを知らず、それゆえ実体と幻像の区別も知らない。彼はその死の直前にようやく、水面の像が自分自身の似姿であると気付き、それによって、自己というものを知り、また実物と模像との区別を認識できるようになる。しかし、「彼が私よりも長く残り続けますように」というナルキッソスの願いは、自分自身の生き延びではなく、分身のほうの生き延びを願うという点で、獲得された自己というものが再度分割されることを意味している。いわばナルキッソスは、死後の生を分身に託すことによって、自分自身を脱固有化したかたちで送り渡すのだ。
大宮氏によれば、こうした根源的な分身関係は、パワーズの最近の小説『エコー・メイカー』(2006)にも見て取ることができる。その小説の主人公が罹患しているのは、自分の周囲の人物を替え玉だと思い込んでしまうカプグラ症候群である。しかしこれは単に彼個人のみに関わる病ではない。この小説で重要なのは、主人公の病がその周りの人間たちに影響を与え、替え玉だと看做された人々自身にも、自分が模像なのではないかという考えが転移してしまうという点にある。つまりここではカプグラ症候群は、周囲の人間たちを巻き込んで変容させる集団的な過程として推移するのである。こうしてこの病は、何らかの一つの真正な生といった考えを掘り崩すわけだが、しかもそれは、単に個々人のアイデンティティのレベルにとどまることなく、集団的実践として生じる。大宮氏は、まさにここにこの小説で描かれたカプグラ症候群の肯定的な側面があると考える。
カプグラ症候群がひき起こす生の集団的変容。この小説のなかでこれを表現するために使われているのが、主人公が眠りのなかで見る鳥の群れのイメージにほかならない。そして、人間個体に先立つ群集性を表すような飛び立つ鳥の群れのイメージは、ベンヤミンの『北の海』断片にも現れるものであることを大宮氏は指摘する。ベンヤミンもまた、(なおも個を単位とした「大衆Masse」というより)「群集Menge」によって繰り広げられる集団的実践を構想していたのである。まさにこれが、ボードレール論などに見られるような、複製技術によって産み出される集合的身体の問題に繋がっていく。
カプグラ症候群に似た病として、フレゴリー症候群というものがある。これは、すべての人が或る特定の一人物のなりすましであると信じ込んでしまう精神疾患である。この場合、カプグラ症候群とは逆に、一つの真正な生という観点が維持されており、万人が一人の人物の模写とみなされている。これは結局のところ、分身を単なる模像へと矮小化するものにほかならず、いわばフレゴリー症候群の時代としての1800年前後に書かれた『魔笛』やドイツ・ロマン主義の小説群には、分身表象がこのように自我の敵対者として貧困化された結果としての「ドッペルゲンガー」のモチーフが頻出する。これに対し、1900年頃になると再び、本来的なものの単なる複製に尽きることのない分身(群集)のモチーフが現れ始めるのであり、まさにそれを徴付けているのがベンヤミンであると大宮氏は主張する。
現代アメリカのパワーズやポール・オースターの小説に見て取れる分身論は、個から群集へ、固有の生から集団的変容へというこの過程をさらに展開したものであると言える。彼らの小説が9・11以後のアメリカの政治状況を視野に入れながら書かれたものであることを考えるとき、カプグラ的な分身性のうちにいかなる批判的な政治の可能性を見出すことができるのか。大宮氏の発表は、分身というモチーフの壮大な文学的系譜を呈示すると同時に、そこから導き出すことのできる新たな政治的実践に向けての視座をも開くものであった。
(文責:大竹弘二)