【報告】UTCP日本思想セミナー:『蟹工船』再評価、その世界的動向
2008年12月9日、日本近代文学研究者である島村輝氏(女子美術大学)による講演「『蟹工船』再評価、その世界的動向―そして東大生はいかにこの作品を読んだか」がおこなわれた(司会:高榮蘭)。
よく知られている通り、2008年は「蟹工船」という言葉が流行語に選ばれるほど、小林多喜二の小説『蟹工船』は大きなブームを引き起こした。島村輝氏は、ブームのきっかけになったといわれている『毎日新聞』での高橋源一郎・雨宮処凛対談や上野「駅ナカ」書店での手書きPOP販売についてふれながら、その後、『蟹工船』が五大全国紙の記事と週刊誌、テレビ、ネットへと波及していった経緯について述べた。そして、それが偶然の重なりではないことを強調し、2008年ブームの前触れとして、2003年の多喜二生誕100年、没後70周年をめぐる行事があったこと、そして、白樺文学館多喜二ライブラリーの貢献について紹介した。例えば、ブームが起きる以前から、同ライブラリーによって『マンガ蟹工船』が出版され、『蟹工船』感想エッセーコンテストも実施されている。また、2008年9月に行われたオックスフォード大学小林多喜二記念シンポジウムもブームの前から企画されていたという。
このような企画が進められていた時期、日本では「格差社会」「貧困」というキーワードが浮上し、そこに「蟹工船」という言葉が接合されるようになったのである。島村氏は、このブームを生んだ日本の国内の社会的コンテクストとして、雇用問題を指摘し、その具体的な例として、1995年、日経連「「新時代の『日本的経営』」、小泉「改革」路線と「新自由主義」、「新貧困層」「ロスジェネ」、秋葉原殺傷事件の裏側にあるものについて言及した。『蟹工船』というテクストが持っている「力」として、①社会の問題を鋭く、深く描く②映画的手法や斬新な比喩の連続という「文学」の方法を駆使・五感に訴える表現③苛酷な労働形態、浅川監督による虐待の暴力の表現のことを取り上げ説明した。
このように、『蟹工船』ブームは、日本国内の社会的コンテクストや小説自体の「力」の交錯によって生じた出来事であると分析した上で、このブームを、最近のプロレタリア文学の再評価をめぐる世界的動向と連動するものとして位置づけた。
島村氏は、日本の「蟹工船」ブームをめぐる海外メディアの反応へと話を進めた。氏によれば「蟹工船」ブームを媒介に、各国・各地域に類似の状況が見出されたこと、しかも、その背景には昨年の春(とりわけ9月)以降の世界的金融危機という世界的同時性の問題があることを指摘した。最後には、学問的視野からの「プロレタリア文学研究」の可能性や「付・東大生はいかに「蟹工船」を読んだか」にまで話が及んだ。
今回の講演は、「蟹工船」という言葉が、表層のレベルにおいて、どのような問題と接触しながら、普及し、ブームに至ったのかについて、社会的コンテクストに基づいて詳細に紹介するものであった。そこに、金融危機のような歴史的同時性の問題が附随しているのは確かである。ただ、今回のブームをめぐる世界的な関心を考える際、金融危機の別の側面、例えば、円高の問題が露呈させた、通貨同士の位階関係をどのように考えればよいだろうか。日本の経済が深刻な危機的状態にあるとはいえ、強い貨幣の魅力が、外部からの移動を誘発する動因になるのは間違いないだろう。「われわれ」の危機という枠組みが前景化される際、真っ先に排除される「他者」との「共生」はどのように考えればよいだろうか。その疑問への答えが、「蟹工船」ブームの分節化によって見いだせるかどうかについて、これから考えていかなければならないだろう。
(文責:高榮蘭)