【報告】シンポジウム「21世紀国際ライシテ宣言とアジア諸地域の世俗化」
去る11月28日、フランス高等研究院名誉院長のジャン・ボベロ氏をお招きして、シンポジウム「21世紀国際ライシテ宣言とアジア諸地域の世俗化」が開催された。
本シンポジウムで議題となったのは、ボベロ氏を中心として2005年に起草された「21世紀国際ライシテ宣言」である。議論の進行としては、最初にボベロ氏からこの宣言の目的と意義についての報告があったのち、増田一夫氏(東京大学)、島薗進氏(東京大学)、中島隆博氏(東京大学)、近藤光博氏(日本女子大学)の四人の日本人研究者が、各々の専門とするフランス、日本、中国、インドの視点からボベロ氏に応答するというかたちで行なわれた。
まず冒頭で、このシンポジウムを企画された司会の羽田正氏(東京大学)から、一般に「政教分離」と訳される「ライシテlaïcité」の問題に取り組んできた批判的知識人としてのボベロ氏の略歴が紹介された。そのさい注意しなければならないのは、ボベロ氏が擁護しようとしているライシテは、何らかの実体化された原則や基準として普遍的に適用可能なものとはみなされていないということである。フランスの公立学校におけるイスラム女子学生のスカーフ着用の是非をめぐる問題(いわゆる「スカーフ問題」)が起きたときに設置された諮問委員会で、ボベロ氏が委員会メンバーのなかでただ一人スカーフ禁止の法制化に賛同しなかったことに示されるように、氏にとってライシテはいかなるドグマになってもならないのである。
最初の報告として、ボベロ氏が全18条から成る「21世紀国際ライシテ宣言」の内容を解説したが、そこには、ライシテの普遍性は世界の各地域の個別的文脈の内部でこそ実現されるとする氏の一貫した立場を見て取ることができる。ボベロ氏は、ライシテがフランスに固有のものであるという見方を拒否し、宣言の起草にあたっては可能な限りさまざまな地域の研究者が関与したことを紹介するとともに、ライシテの内実が決してこの宣言で言い尽くされているわけではないことも強調する。宗教と国家のあいだの相互の自律性を根本原則とする「ライシテ宣言」は、何か特定の政教分離の制度を処方箋として示すものではなく、各国の歴史的、社会的、文化的多様性に即してライシテの実現を求めるような開かれた原理としての性格を持つ。ここで宣言されたライシテは、文化の多様性を抹消するような抽象的原理ではないのであって、むしろ、そうした多様な諸文化の出会いのなかで具体的内実を獲得していくような絶えざる普遍化の過程とみなされるべきなのである。
次に増田一夫氏の報告では、1980年代末に浮かび上がってきた「スカーフ問題」が、20世紀初頭から共和主義的左派とカトリック右派との対立として展開されてきたフランスの政教分離論争にいかに大きな変容をもたらしたのかが解説された。これ以降、ライシテの問題はもはや従来の左右対立とはまったく異なる地平で問われるようになったのである。そして、こうした80年代以降の情況のなかで、共和派の主張する厳格なライシテ原則がかえってイスラム教徒に対する差別を助長することを主張してきたボベロ氏の立場が紹介された。それから増田氏は、フランスにおいて伝統的な共和制モデルの主唱者であったユダヤ系の人々の一部に、ここ数十年来、ユダヤ人共同体への回帰の動きが見られることを指摘し、これがフランスにおけるライシテの危機の徴候なのかという問いを提起した。
島薗進氏はその報告のなかで、西洋的な意味における世俗化としてのライシテに対応する出来事が、日本の歴史上に存在したのかという点を問題にした。氏によれば、16、17世紀の武士階級による仏教の統制、1967年の明治維新に伴う信教の自由の形式的な整備、1945年以降の国家神道解体は、いずれも日本における世俗化の進展とみなすことができるが、皇室神道の祭祀がいまだ国民生活に一定の影響を与えていることから、日本の世俗化はなお未完であるとする考え方もある。しかしいずれにせよ、これらの出来事はどれも、西洋キリスト教世界をモデルとするライシテとは必ずしも対応するものではないと島薗氏は指摘する。そのうえで氏は、比較文化的な研究のなかで、ライシテ概念の前提となっている特殊西洋的な「宗教」概念そのものを再検討する必要性を強調し、「宗教」概念それ自体が複数的であることに注意を喚起した。
続いて中島隆博氏の報告では、現代中国の宗教(とりわけ儒教)と政治の問題が取り上げられた。まず氏は、中国の抱える政治のレジティマシーの危機に対し、宗教としての儒教を再定義しようとする動きがある一方で、儒教を世俗化secularizationして「公民宗教」といった社会的規範の機能を持たせようとする動きがあることを紹介した。その上で、両者には限界があることも指摘した。例えば前者には、特殊中国的な文化価値として儒教を領有させることになるという批判がある。また後者について氏は、漢民族以外への不寛容、および近代的犠牲の論理と同じ構図が露呈していると指摘する。では、儒教のとり得る別の道はあるのか。この問いに対して、氏は批判儒教という道を示唆する。批判儒教とは、中国の近代の経験(激しい儒教批判も含めて)への評価を通し、儒教自身を変容させることで、国際的に共有可能な言説にしていこうとする立場である。これは規範としてのpracticeではなく、現実に批判的に関わろうとするactivistであろうとしている意味では、ライシテ宣言とも相通じる態度でもある。このように、現在中国で起こっている儒教復興の動きを批判的に取り上げるなかで、ライシテ宣言に応答する視点が提示された。
最後は、近藤光博氏によるインドのセキュラリズムについての報告であった。氏は、まずインドにおけるセキュラリズムとコミュナリズムをめぐる歴史と現状を解説された。氏によれば、インドにおいて政治言説における「セキュラー」とは、コミュナル(宗教対立的)でないもの、すなわち複数の宗教コミュニティの平和依存の志向を意味する。国家が追求すべきは、その脱宗教もしくは非宗教性ではなく、諸宗教に対する中立性であるため、インドの社会と政治の脱宗教化は、これまでほとんど徹底されてこなかった。ここ30年ほどのインドにおける「ヒンドゥー覚醒」とは〈建国当初から深く宗教的なインド国民国家の社会と政体において、宗教帰属にもとづく集団形成に対する「セキュラー」な態度が退き、「コミュナル」な宗教性が台頭してきた現象〉ということになる。こうした現状を踏まえ、最後に氏は、同宣言における「ライシテ」はこうしたインドのセキュラリズムと多くを共有するものであることを述べる一方で、この宣言が第三世界のポストコロニアルな情況に対する感受性にはいささかの鈍さがあるのではと疑念を呈した。
以上の報告の後に、各報告の中で二つずつ提示された質問に対して、ボベロ氏の返答がなされ、その上で、会場にも開かれた形で討論が行われた。
ここでは予定の時間を超過して活発な議論が交わされた。主に論点となったのは次の二点である。まず、各報告者に共通して、キリスト教の伝統の中で生まれた概念である「ライシテ」をその「外」に広げることか可能か否かという問いがあった。とりわけ全てが神の支配下に統合されるイスラム社会においては、ライシテというもの自体の普遍性が問われることになる。これに対してボベロ氏は、ライシテの「要素」という言い方を繰り返し強調した。そして、この宣言は決してドグマティックな押し付けの概念であってはならず、情況に応じて柔軟に変容を遂げることを望むものであることを強く訴えた。
また、「セキュラー」ではなく、フランスの歴史と社会に根ざす概念、述語である「ライシテ」を掲げる意味 についても、いくつかの疑問が投げかけられた。例えば、中国の現代の情況に「セキュラー」でなく「ライシテ」を持ち込むことが、いかなる未来を開くことになるのか、逆に「セキュラー」に吸収されるだけではないかといった疑念が呈された。また「ライシテ」という語の持つ「分離」の意味が植民地的な啓蒙的側面を持つ危険性(インドなど)についても指摘がなされた。
このように「ライシテ」という語がどこまで普遍性を獲得できるのか、さらにそれが適応された場合、どのような機能を果たし得るのかといった点が鍵であったように思われる。我々は「ライシテ宣言」が新たなイデオロギーとして働いてしまう危険性を回避しなければならないが、それには宗教という言葉自体を脱西洋化することが必要であり、それによってライシテの意味も変わってくるということがいえるだろう。しかしこの「ライシテ宣言」を一度共有したことで、非キリスト教世界における世俗化の問題との緊張関係や差異が浮き彫りとなり、各国の現状と未来についての議論を交わす場が現れたことは意義深いことである。最後にボベロ氏は、今後もこうした議論を継続していくことこそが大切であると強調され、また自身のブログ(http://jeanbauberotlaicite.blogspirit.com/)のコメント欄にも是非意見を寄せて欲しいと述べられた。
(文責 大竹弘二・宇野瑞木)