【報告】 The 3rd BESETO Conference of Philosophy
1月10日(土曜日)と1月11日(日曜日)、駒場キャンパスで第3回のBESETO哲学会議が開かれました。以下で簡単な報告をしておきます。
この会議は、もともとは、2006年9月に第二回の東アジア現象学会議(PEACE)がUTCPの主催で開かれたときに、韓国ソウル大学のNam-In Lee教授,中国北京大学のZhang Xianglong教授と東京大学の村田純一との間で、教員レベルの交流のみではなく、もっと若い方たちの間での交流、とりわけ大学院生の間での交流の必要性について話し合いが行われ、その結果生まれたものである。第1回がソウル大学で2007年2月3日-4日、第2回が北京大学で2007年12月27日-28日に開かれた。
小島憲道教養学部長、小林康夫UTCPリーダー、一ノ瀬正樹DALS副リーダーによる開会の辞を皮切りに、今回は、ソウルから14名、北京から10名が参加、日本側からは駒場と本郷から合わせて20名が発表を行い、ソウル大学にちょうど来られていたOwen Flanagan Duke大学教授の発表を含めて全部で45名の発表が、16セッション(1セッション3名の発表)に分かれて行われた(詳しいプログラムと発表内容に関してはこちらをご覧いただきたい)。
会議には全体のタイトルとして、Philosophy in East Asian Context: Knowledge, Action, Death, and Life、という課題が設定されていたが、このタイトルは会議の話題の範囲を限定するというよりも、枠組みとして機能するように選ばれたものであった。実際、発表内容は、西洋のものから東洋関係のものまで、あるいは、プラトンなどの古典からサルトルやメルロポンティなど現代哲学まで、さらには、分析哲学から現象学そして、生命倫理や脳科学倫理まで、などといった仕方で、実に多様であった。
一人当たりの発表時間は討論も含めて30分という短い時間であり、スケジュールはかなりタイトであったが、多くの参加者がこの条件をあらかじめ考慮して十分準備していたためもあり、全体としては予定されたプログラムから大幅に狂うことなく、何とかすべての予定をこなすことができた。それぞれのセッションでも、短い時間ながら、活発な討議が行われ、参加者の多くはそれぞれ多くの刺激を受けたという感想を述べていた。
研究発表が行われたセッションのほかに、休憩時間にも討論が継続されたり、また、3回のレセプションでも、和やかな雰囲気のなかで様々な交流の輪が広がったりした。とりわけ、お別れ会となった最後のレセプションでは、各国の「代表」が歌を披露するなど、前回、前々回に引き続き、BESETOの最大の意義である、若い大学院生の間での友好関係の発展という点では成功した会議であったといえるのではないかと思われる。もちろん、友好関係の発展という面に限っても、BESETOにはまだ多くの課題があることは確かである。小林康夫UTCPリーダーが述べていることでもあるが(小林リーダーのコメントはこちらからどうぞ)、中国・韓国・日本の若い大学院生の間の哲学的対話はまだまだ萌芽の状態に留まっている。参加者の皆さんには今回のBESETOで芽生えた友好関係を基礎にそれを成熟させ、ほんとうの意味での哲学的対話ができる関係を培っていってもらいたいと思う。今回のBESETOでなされた多くの参加者が名残を惜しみながら、再開を約して別れた。次回は、2010年1月7日-8日にソウル大学で開かれる予定である。
今回の会議は東大の駒場と本郷で行われている哲学関係のグローバルCOE、UTCPとDALSの共同開催という形式をとることによって成立したものであり、この場を借りて本郷の先生方、また院生の方々のご協力に感謝を申し上げたい。また、この会議では、UTCP関係のPD,RAが総出で手伝ってくださり、また、中澤さんや西山さん、そして小口さんなどが多大な労力を提供してくださった。改めて心よりお礼を申し上げたい。
(以上、村田純一)
私(小口)は昨年の北京に引き続き二度目の参加となった。今回の第三回BESETO哲学会議では、自身の研究成果を発表するともに、組織委員会の一員として運営業務に従事する機会を与えていただいた。人文学の存続にとって国際的な研究基盤の構築が前提条件となりつつあるなか、国際交流の場を組織する手腕は研究者に必要とされる能力の不可欠な一部を構成すると言える。そうした意味で、このような大規模な国際会議の運営に従事し、多くのことを学習し反省する機会を得られたことは、私自身にとって大変有意義であった。もちろん、私の微々たる力で貢献しうる範囲はごく限られたものである。今回の会議が大きな問題もなく成功裡のうちに閉幕を迎えることができたのは、ひとえに、運営を先導していただいた中澤さん、西山さん、そして現場での作業に尽力していただいた他のスタッフの方々のおかげである。皆様にはこの場を借りてあらためて謝意を表したい。
会議のなかでは、中国から参加されたLiu Zhe先生との会話がとりわけ印象に深く残っている。Liu先生は「自己意識」の問題を横糸としてドイツ観念論・現象学・分析哲学をまたぐ幅広い視野で研究をされている俊英である。先生が強調しておられたのが、異なる伝統の間で架橋を行う際には、たとえ「志向性」や「意識」や「概念」という同じ言葉が使われているとしても、それぞれの分野での問題構成の差異に自覚的でなければならず、安易な接合は戒められるべきであるという点である。このことは、分析哲学と現象学、そして認知科学との間で自らの思考を展開しようとしている私自身にとってもまた心に銘記しておくべき重要な訓戒である。それぞれの伝統における問題構成の差異に自覚的でありつつ、なおそうした差異に留まらず対話を展開する方途をどのように切り開いてゆくのか、こうした問いをLiu先生からは頂戴することになった。
Liu先生をはじめとして、北京とソウルからの参加者の方々とは会議のなかで様々な対話を重ねることができた。こうした関係を持続的な研究協働体制へと組み上げてゆくためには、対話のなかで得られた問いを自身の研究のなかで昇華させつつ、それをふたたび対話へと接続してゆく忍耐強い努力が必要とされよう。BESETO哲学会議がそうした往還を可能とする場となることを祈念しつつ私の報告を閉じたい。
(以上、小口峰樹)
私(中澤)もまた昨年の北京に引き続き二度目の参加となった。BESETOのような大きな会に、二年も続けて参加できたことは得難い経験である。これまた小口さんと同様、私も組織委員会の一員として運営に協力させていただいた。たくさんの方に迷惑をかけつつも、ご協力をいただき、ほんとうに感謝している。
BESETOが終わり、二週間が経ち、「なんとか無事に終わった」という安堵の気持ちから、次第に今回のBESETOで達成できなかったことやこれからの課題へと私の関心は移行してきている。小林康夫UTCPリーダーの苦言「哲学的対話の不足」はさすがに耳が痛い。小林リーダーは別のブログで「自分の思考を発展させるためには、多くの時間が不可欠。原則的には、いかなる制限もなく、徹底して議論できる場がアカデミズムには本質的」(全文はこちらからどうぞ)と述べているが、BESETOのような会においてそうした徹底した議論を行うにはどうしたらよいのだろうか。より円滑なコミュニケーションのために英語力を向上させなければならないのはもちろんである(すくなくとも私は)。それとともに気になっているのが、国際会議という「場」への意識、とでもいったものだろうか。
普段私たちが馴染んでいる場(哲学を研究するうえでかかわっている意外と狭い世界)から一歩踏み出すやいなや、開けたその世界の広さにどぎまぎする。UTCPのPD研究員であるフルーマーさん(彼はわれわれのプレゼンテーションすべてをチェックしてくださった)がBESETOにかんするメタ的考察をこのブログに載せてくれたが、そこでは、哲学をする場と哲学をする言語という観点から今回のBESETOの意義とあるべき姿について示唆的な提言がなされている(フルーマーさんのブログはこちらからどうぞ)。さまざまな言語や文化、場所や歴史が織り成す複雑で(だから豊かにかんじる)開けた世界、そういった世界が哲学の世界だとするならば、われわれにとってBESETOはその開けた世界への入り口だと思う。国際会議という「場」への意識とは、そうした開けた世界に身を置いているという自覚である。こうした自覚を維持することが私の今後の課題だ。
さらに、別の関心として、今回のBESETOで培った中国と韓国の先生・学生との友好関係をどのように継続していこうか、という問題がある。今回のBESETOをほんとうの意味で価値のあるものにするためには、小口さんが上で述べていることではあるが、継続的な努力が必要だろう。さて、その努力は具体的にどのようにしたらよいのか。メーリングリストなどを作って近況を報告し合うのも良いかもしれない。分野を限定して、小型のグラデュエートカンファレンスを企画できたらすばらしいかもしれない。少なくとも自発的になんらかの行動を起こさなければ、今回のBESETOで培った友好関係はけっこう早く消えてしまうだろうという危機感を抱いている。
すでに述べられているように、BESETOはそもそもソウル国立大学のNam-In Lee教授、北京大学のZhang Xianglong教授と東京大学の村田純一教授の発案で始まった。3人の先生方にはすばらしい場を作っていただいたことを感謝しつつ、それを活かしていくのは私のような経験の浅い学生たちであると肝に銘じている。
(以上、中澤栄輔)
↓ BESETOの写真です。