【報告】レヴィ=ストロースと鳥インフルエンザ
昨年12月5日、フレデリック・ケック氏(CNRS)によるセミナー、「レヴィ=ストロースと鳥インフルエンザ――潜在的カタストロフィの構造人類学の方法」が行われた。司会は藤田尚志さん(学術振興会特別研究員)。
フランスにおいてレヴィ=ストロースを継承する最も若い世代の研究者の中心であるケック氏は、現在的事象を理解し、それを変えていくためにレヴィ=ストロースを「使おう」とする。ケック氏が現在おこなっているのは、「鳥インフルエンザ」についてのリサーチだ。
項ではなく関係を取り出す構造主義的人類学の方法において、分析の対象となるのは、インフルエンザそのものではない。ケック氏が注目するのは、世界のそれぞれの地域において、鳥インフルエンザがもたらす潜在的なカタストロフィーに対する人々の「恐れ」が、どのように構造化されているかだ。
ケック氏によれば、鳥インフルエンザへの「恐れ」は、他の「動物」たちに由来する他の病気への「恐れ」の系列のなかで経験されている。すなわち、狂牛病(羊・牛)、SARS(コウモリ・ジャコウネコ)、HIV/AIDS(猿)、狂犬病(狐・犬)、ぺスト(ネズミ・シラミ)だ。さらに「香港」の人々にとっての「鳥」(鳥インフルエンザ)は、「広東省」の人々にとっての「ジャコウネコ」(SARS)との「差異」において構造化され、経験されている。ちょうど(レヴィ=ストロースが分析した)ボロロ族にとってのアララ鸚鵡が、たんなるトーテム的同一化の対象ではなく、他の動物にみずからをなぞらえる他の部族との「差異」を表示するものにほかならなかったように。
それゆえ異なる都市では、鳥インフルエンザへの「恐れ」は異なる仕方で経験される。ケック氏によると、たとえばニューヨークでは、インフルエンザにかかった鳥は「ハイジャックされたジェット機のように」、空からやってくるものとして表象される。さまざまな他の「恐れ」との関係のなかで、鳥インフルエンザがもたらす潜在的カタストロフィーは構造化されているのだ。その構造を分析するのが、ケック氏の遂行する人類学的「ウイルス学virologics」である。
なお「カタストロフィー」という言葉は、ケック氏の発表においては、たんに疫学的な「災厄」を指し示すのではない。それは「2つの矛盾した状態の重ね合わせ」を意味している。鳥は〈生き物〉であり、かつ〈食べ物〉である。〈生き物〉としての鳥と、〈食べ物〉としての鳥は、都市においては通常、時空間的に離れた場所に現れる。しかし鳥インフルエンザとそれへの対処(大量処分=殺戮)は、両者を同じひとつの場所にもたらしてしまう。両者が短絡するとき、つまり〈殺すこと〉と〈食べること〉がショートするとき、カタストロフィーが感知される。
構造主義的人類学は、たんに疫学的なだけではないそのカタストロフィーへの理解を開くことによって、有形無形の対象へのさまざまな「恐れ」によって駆り立てられ、あるいは管理されているかにみえる今日の世界を生きる私たちに、指針を与えるだろう。野心的で刺激に満ちた発表だった。
報告:平倉圭