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報告 「世俗化・宗教・国家」 セッション13

2008.12.13 羽田正, 世俗化・宗教・国家

12月1日、「共生のための国際哲学特別研究VI」第13回セミナーが開かれた。

 今回のセミナーは先週に引き続きジャン・ボベロ氏(フランス高等研究院名誉院長)により、「フランスにおけるライシテ-歴史と今日の課題」のタイトルで講演が行なわれた。081201_Bauberot_02.jpg
 ボベロ氏はまずライシテの構成要素を「信教の自由およびそれを集合的に実践する自由(礼拝の自由)」「宗教と政治の分離」と規定した上で、ライシテのあり方は時代、地域によって多様であり、「いかなる文化、いかなる国、いかなる大陸の知的専有物でもない」(21世紀国際ライシテ宣言)と述べた。この前提を確認した上で、フランスにおいてはライシテとナショナル・アイデンティティーが密接に結びついており、この観点からの検討が現在のフランスのアイデンティティーの危機や変動の分析に有効であると指摘した。
 ボベロ氏によれば、フランスのライシテは1789年のフランス革命によりスタートしたが、その後三つの段階を経て現在に至る。19世紀初頭の「ライシテの第一段階」(premier seuil de laïcisation)においてはナポレオンにより教会と国家の法的関係が規定され、カトリックが「フランス人の大多数の宗教」として公認される一方、国家による宗教管理が行なわれた。しかしながら宗教は個人的範疇に属し、フランスの制度的アイデンティティーとは別であると考える共和主義的な大多数のカトリック勢力と、強行派カトリック勢力の間の葛藤から引き起こされる紛争に耐えられなくなったフランスのライシテは、1882年のジュール・フェリーによる道徳の創出などを経て「ライシテの第二段階」(deuxième seuil de laïcisation)へと移行することになる。1905年、コンコルダ関係が終焉を迎えたことにより、フランスのナショナル・アイデンティティーは制度的に完全にライシテに基づくものとなった。しかしながらアルジェリア戦争の終結(1962年)とフランス植民地帝国の終焉、社会経済危機とそれにともなうアフリカ系移民の定住化、冷戦の終結と新たな脅威としてのイスラーム主義の台頭といった諸変化にともない、1960年代から1980年代にかけてライシテは「ライシテの第三段階」(troisième seuil de laïcisation)を迎えることとなった。1989年におこった「ヴェール」着用問題では、ヴェールがイスラーム主義、共和国とライシテの理念に対する脅威の象徴としてとらえられ、同年の国務院の声明では「これ見よがし」(ostentatoire)なものでなければライシテと宗教的表徴の着用は両立可能とされたものの、2001年の9.11同時多発テロを受け、2004年にはライシテ法が制定された。同法においては公教育の場での「目立つ」(ostensible)な宗教的表徴の着用が禁止され、メディアの言説も、イスラームの「共同体主義」を否定し、「共和国的」になるべきだというフランスの共和主義的市民宗教に典型的な論理が支配的となった。こうした政治状況において2007年にフランス大統領に就任したサルコジは共和国とその「価値」自体を神聖化するフランス型の共和主義的潮流に距離をおく一方、超越的存在である創造主を人権の創出者と位置づけるアメリカ型の共和主義的市民宗教への傾倒を示している。これは社会的紐帯を弱体化させないようにしながら多文化主義を受け入れる必要性によるものであり、共和政体を「超越性」という「希望」によって補強しようとする試みであるが、このようにフランスのライシテの将来はまだ不確定であるとボベロ氏は結論づける。
 質疑応答においては、ライシテ法において規定される「目立つ」(ostensible)宗教的表徴の客観的基準は何か、それが拡大解釈される危険性の有無についてトルコの事例を引き合いに質問が出された。また、1989年の国務院の解釈を是とし、イスラームに関しては変化を強要するのではなく内発的な変化を待つべきとするボベロ氏の主張は本質的に、共同体主義より共和主義を重視する意見と同方向のものではないかという意見も出た。

報告者:太田啓子

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