報告 「世俗化・宗教・国家」 セッション12
11月24日、「共生のための国際哲学特別研究Ⅵ」第12回セミナーが開かれた。
今回は、UTCPの招きで来日した、ライシテ研究の開拓者であるとともに第一人者でもあるジャン・ボベロ氏(フランス高等研究院名誉院長)による「世俗化と脱宗教化」と題した報告が行なわれた。
ボベロ氏はまず、ピーター・バーガー、マックス・ウェーバーらの議論を参照しつつ、これまで単に世俗化(sécularisation)とは宗教の社会的役割が衰退し、宗教が社会から差異化される過程として認識されてきたとする。この認識に基づいて、宗教の消滅を不可避であると結論づけることはすでに宗教社会学者たちによって批判されているが、ボベロ氏はそもそもこの世俗化という概念のみでは複雑な宗教の社会的・歴史的発達を把握することができないと断じる。
そのうえで、ボベロ氏はミシュリーヌ・ミロやカーレル・ドベラーレといった宗教社会学者の議論を参照しながら、従来の世俗化という概念から脱宗教化(laïcisation)という概念を分節化し、さらに両者を明確に区別する必要性を強調する。ボベロ氏によれば、その場合の世俗化とは社会に対する宗教の規範的作用が低下していく過程を指し、潜在的なものであるのに対して、脱宗教化とは政治権力が宗教権威に対し自律性を確保していく過程を指すもので、制度的な変化を伴う顕在的なものであると定義づけられる。
世俗化と脱宗教化という二つの概念が分節化できるものである以上、両者は個別に展開しうる。ボベロ氏はその例として19世紀のラテンアメリカ諸国や現在のトルコ、イランといった中東諸国をとりあげ、世俗化という土台を欠いたまま権威主義的な体制下で行なわれた脱宗教化が様々な批判・挑戦にさらされていることを指摘した。また、現代日本やフランスを例に、世俗化が支配的となり、その負の側面も認識されるようになった社会においても、脱宗教化の流れに逆行しようとする動きがあることも指摘した。
報告後の質疑応答は、必要に応じ伊達聖伸氏(日本学術振興会特別研究員)による通訳を介して行なわれた。イランやトルコの現状を分析するさいにボベロ氏が用いた用語の違いから、両国の世俗化過程に対する氏の認識を質す質問や、世俗化過程において初めて創出された「宗教」という分類を前提として国家との関係を論じる氏の議論は、近年の日本において見られるような、宗教的価値を伝統の一部とする民族主義的思想への批判としては有効ではないとする意見などが出され、活発な議論が展開された。
(文責:勝沼聡)