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【報告】国際フォーラム「哲学と教育―哲学への権利」第1日目

2008.12.12 小林康夫, 藤田尚志, 西山雄二

UTCP国際フォーラム「哲学と教育―哲学への権利」の第一日目は、《制度、教育、評価》と題して、藤田尚志(日本学術振興会)、橋本一径(東京大学)、津崎良典(ストラスブール大学)の三氏がパリ高等師範学校で発表を行なった(司会:西山雄二)。

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UTCPはすでに2006年11月8日および2008年1月8日に国際フォーラム「哲学と教育」をパリで開催した。前2回は主に哲学と教育法の関係を主題とし、デリダ、ブランショ、ドゥルーズ、フーコー、ベンヤミン、ラカンといった思想家が俎上に載せられた。3回目となる今回のフォーラムの趣旨は、グローバル資本主義の趨勢のなかに研究教育活動が位置づけられる今日において、哲学の新たな制度を模索する試みとなる。

第一日目は、藤田氏が〈制度〉の観点から20世紀を軸に総論的な話を行ない、それを受けて橋本氏が19世紀から現代を照射する〈教育〉の問題を、津崎氏が21世紀にいっそう重要な位置を占めつつある〈評価〉の問題を扱い、それぞれの発表に対してミシェル・ドゥギー氏(パリ第8大学名誉教授)がコメントをするという形で進められた。

藤田尚志「大学はフランス哲学において己の場を欠いている――あるいはベルクソンの『礼儀正しさ』について」

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藤田は、ドイツ哲学における大学論の伝統(カントからハイデガーを経てハーバマスまで)と顕著な対比をなすフランス哲学における大学論の不在(デカルトからベルクソンを経てドゥルーズまで)を取り上げ、その理由、それへの対処法をフランス哲学の伝統のうちに探ることで、〈制度〉の問題を批判的に、そしてフランス哲学研究者である自身の問題として取り上げた。

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氏によれば、フランス第三共和政において、大学に対する哲学者たちの沈黙は根底的な変質を蒙る。以後、哲学を教える多くの教師たちが誕生したにもかかわらず、彼らはフランス的多孔質構造(大学以外に、コレージュ・ド・フランスやEHESSをはじめとする高等教育研究制度が共存する)に自らの意識を引き裂かれつつ、偉大な哲学者たちとともに、大学という制度を自らの思索に固有の〈場〉として反省することなく今日に至っている。

だとすれば、原光景とでも言うべき第三共和政に立ち戻り、そこから別の方向へ再出発する手立てが探られねばならない。氏は、この時代の代表的な哲学者ベルクソンが高校教師の頃に書いた幾つかの式辞(「礼儀正しさ」「専門」「良識と古典学習」)の読解を通じて、単なる儀礼や慣習の機械的反復ではない《開かれた礼儀正しさ》を鍵概念として取り出してみせる。

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「攻撃的な力が大学を押し潰そうとしてきた時はどうするのか、それでもなお礼儀正しくあるべきなのか。政治が必要なのではないか」という小林康夫氏の質問に対して、藤田氏はこう答える。《政治的・宗教的・倫理的イデーに関する議論においてさえも実践されうる「信念の礼儀正しさ」こそ、人文学、とりわけ古典学習において学ばれうることである》とするベルクソンの説は、古色蒼然とした外見とは逆に今日でも重要性を帯びている。哲学者として大学の問題に対処する限り、常に概念のレベルで応答しようとする「信念の礼儀正しさ」は必要不可欠のものであり、これこそが哲学者として行ないうる「政治」である、と。

橋本一径「大人を教育する――19世紀末フランスにおける警官養成」

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橋本氏は、現在世界標準となりつつある「生涯教育」という発想の起源の一つが、犯罪学的見地からなされた捜査方法および警官養成法の改善過程にあると示すことで、《教育=養成》(どちらもフランス語ではformationである)の問題について哲学的な考察を展開する上で欠かせないものとなるであろう新たな光を投げかけた。

氏は「大人を教育する」という思考習慣の淵源の一つを、19世紀における犯罪人類学のパラダイムチェンジ、すなわち18世紀的博愛主義(刑務所を改善すれば犯罪抑止につながる)の敗北と、その結果、再犯防止が「社会を防衛する」ための核心的な問題として理解され始めたという事実に見る。科学警察の祖と言われるパリ警視庁鑑定局長アルフォンス・ベルティヨンによる数々の発明のうち、後の似顔絵作成法の原型となる「口述ポートレート」――「ベルティヨン式人体測定法 bertillonnage」とも呼ばれるようになる犯人識別法――が登場し、『犯罪人類学とその最近の進展』(1891年)の著者チェーザレ・ロンブローゾの《「生得的な犯罪者」は骨相学的知見から割り出せる》という主張が受け入れられ、その講習会がフランス全土の学校・警察・軍隊で開かれる。治癒不可能=教育不可能な子供を早期発見すべく、教師・警官・軍人といった大人たちに教育=養成が施されることになったのである。以後、ごく一部の成人エリートに対する(例えば法曹界における)教育ではなく、広く大人を教育するという考えが社会通念として徐々に定着していく。

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質疑応答では、ドゥギー氏がこの犯罪人類学の驚くべきアクチュアリティに注意を喚起し、フランスではリール大学教授Catherine Kintzler女史の仕事と、イタリアではSalvatore Palidda氏の仕事、とりわけ『ポストモダンにおける警察』Polizia postmoderna (Feltrinelli, 2000)との接続可能性を指摘しつつ、この方向でのさらなる研究の深化に期待を寄せた。

(以上文責:藤田尚志)

津崎良典「大学教育における評定文化の脱構築のために」

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津崎氏の発表は、グローバル化の波に飲み込まれる大学を評価する際のキーワードとなって久しい、「卓越性(excellence)」という言葉をめぐって、フランスにおける国家による大学評価のアクチュアルな状況に目を配りつつ、デリダ、フーコー、ドゥルーズらに依拠しながら、哲学的な考察の深みにまで手を伸ばそうとする、きわめて野心的な試みであった。

氏によれば、「卓越性」という、それ自身のほかには何らの参照項も持たない評価基準は、大学の財政から教育に至るまでを同じひとつの尺度で推し量ろうとし、しかも「なぜ」その尺度なのかという問いを受け付けようとしない。このような基準の評価に自らすすんで身を任せようとする大学とは、フーコーの言うパノプティコンのように、囚人が自らを自らによって律しようとする監獄のようなものであるという。

ところで今ここで私が、この津崎氏の優れた発表に対して、それが「卓越した」ものであるとの評価を与えるのは、他の誰かの評価基準に従ったわけではなく、ただ私自身の確信に基づくのであり、それは何一つ根拠を持たない確信である。およそあらゆる評価というものには、このような無根拠性が多かれ少なかれ付きまとうはずであり、したがって氏による大学評価システムの脱構築の試みも、評価の無根拠さをあげつらうことにとどまるものではありえまい。

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「脱構築とは、単に言説のみならず、物質的な制度にも立ち向かうものである」とするデリダの言葉に寄り添う氏の作業が佳境を迎えるのは、「時間」の問題が俎上に載せられたときである。大学が無知から知への歩みの場であるとするなら、その歩みにあらかじめ期限を定めることは不可能だ。大学に流れる時間とは、「発見」の時間という、決して完成を迎えることのないような時間であり、そのような大学とは、「真理を生業としている」(デリダ)。氏はそこから、大学とは誰もが無条件にすべてを語ることのできる場であるべきだという結論を導き出すのであるが、「真理」が引き合いに出された以上、言外の争点となっているのは、「信」の問題でもあるはずだ。自らの言説の「真理」の無根拠さを、「卓越性」という担保で埋め合わせることなく、言わば神なき「信仰告白」として、自ら引き受けること。大学が単なる優越性を競い合う場ではなく、「学ぶことの可能性」を学ぶ場であるべきだとする津崎氏の提言の彼方に浮かび上がるのは、そのような大学人あるいは哲学者のあるべき姿であるだろう。

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フランスのメディアでは「よい一日を(Bonne journée)」という表現に代わり、「Excellente journée(卓越した一日を?)」という言葉が幅を利かせるようになっているという。津崎氏の発表に対するミッシェル・ドゥギー氏からのこのような応答は、詩人ならではの言語感覚といったところであろうか。ドゥギー氏はまたユネスコの世界遺産などの例を挙げながら、評定文化が大学にはとどまらずにグローバル化している現状を指摘した。このような格付け文化をいかにして逃れることができるのか、というドゥギー氏の問いかけに対し、津崎氏は、「いかにして」という問いよりも、「なぜ」そこには逃げ道がないのか、という問いこそが求められているのだと応じた。

また、会場からは、「卓越性」を求めるフランスの大学からは「自由聴講生」というかつて存在した制度が廃止されつつあるという指摘があった。一般向けの「生涯教育(formation continue)」と、高い格付けを得るための高等教育とに二分化しつつある大学教育の現状の一端が垣間見えたのだった。

(以上文責:橋本一径)

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