【学会参加報告】 ニューロエシックス・ソサイエティ第1回年次大会
2008年11月13日から14日にかけて,アメリカ,ワシントンDCにおいて脳神経倫理学会(Neuroethics Society)第1回年次大会が開催されました.
アメリカ国内を中心に,世界各地から「新しい倫理学」である脳神経倫理学を推進しようとする研究者が集まり,脳神経科学の発展がもたらすわれわれの人生や社会への影響を熱心に議論しました.UTCPからは事業推進担当者の信原幸弘,若手研究員の中澤栄輔,共同研究員の植原亮と西堤優が大会に参加し,各々の関心に沿ってポスター発表を行ったほか,UTCPの脳神経倫理学にたいする取り組みを紹介しました.以下でポスター発表の様子,ならびに大会全体の雰囲気をレポートします.
【信原幸弘 (事業推進担当者) “Autonomy of Action”】
これまで口頭発表は何度も行ってきたが、54歳になるこの年まで、ポスター発表は一度も行ったことがない。どうなるものやらと、多少の不安を抱きながら、本番に望んだが、いざ始まってみると、大会に参加していた会員の多くが順にポスターを見回って、関心が湧いたポスターのところでは、発表者に質問やら議論をふっかけていた。私のところにも、10人ほどの人が見てくれ、そのうち3人とちょっと議論を交わした。私の発表の結論は「私たちの行為はほとんどが自律的ではないので、悪い人を罰するのではなく、治療する社会制度を築くべきだ」というものであったが、3人とも、それに同意してくれた。しかし、自分では、かなり挑発的な結論であったつもりなので、ちょっと拍子抜けがした。
ポスター発表のほかでは、一般の口頭発表はなく、主として6つのシンポジウムが開かれただけであったが、自由意思や嘘発見、認知能力のエンハンスメントなど、興味深いテーマが目白押しであった。なかでも、神経科学の商業的利用をめぐるシンポジウムは、刺激的な内容に満ちていた。心の薬理的制御や、ブレイン・マシン・インターフェイス、嘘発見など、商業的利用の多彩さに驚かされただけではなく、世界全体における2007年のニューロテクノロジーの総利益が約1,300億ドルで8.3%の成長率だという、その急成長ぶりにも度肝を抜かれた。何でもビジネスにするたくましさは結構だが、それに負けないように倫理的な対処もしっかりしなければと痛感した次第であった。
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【中澤栄輔 (若手研究員) “Memory Manipulation and Personal Identity”】
現在,記憶を操作することの技術的可能性と倫理的是非に言及する研究が増えてきています.私は人格同一性の観点から,薬物を使用して記憶を消去させる技術がはらんでいる倫理的問題に注目しています.ここで問われなければならないのは「ほんとうに薬物を服用することで記憶を消去することができるのか」ということと「どういったタイプの記憶の操作が人格の同一性を脅かすのか」ということです.
PTSDの治療薬として用いられているプロプラノロールは記憶操作の倫理的問題にかんする議論の中心になっています.今回の Neuroethics Society 年次大会に先駆けて11月5日に科研費「脳神経倫理学の理論的基礎の確立」主催の講演会で来日したÉric Racine さんもプロプラノロールの服用にまつわる倫理的問題に言及していましたし(Racineさんとは大会で再会することができ,貴重な助言をいただきました),大会のワークショップ “Debate on Cognitive Enhancement” でもプロプラノロールの服用にかんする倫理的問題が取り上げられました.
私のポスターにも予想以上に多くの人が関心を払ってくださり,プロプラノロールの薬効や,私が紹介したプロプラノロールに代わる新しい技術について質問を寄せていただきました.このように,来場者と緊密に議論ができるのは,ポスター発表の良さかもしれません.
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【植原亮 (共同研究員) “Transhumanism and the Theory of Value”】
ニューロエシックス・ソサイエティの第1回大会に参加してまいりました。エンハンスメントや意思決定、ビジネスの脳神経科学など、講演テーマはさまざまな領域にわたり、それに伴って発表者もまたいわゆる応用倫理学者に限らない、医学や法学、ジャーナリズムなどさまざまな領域を背景とする人々が集まっており、国際的にも脳神経倫理が多くの領域から関心を集めているということが実感できたしだいです。
多くの講演の中から、ひとつ私にとって印象深かったものをあげるなら、ハーヴァード大学のスティーヴン・ハイマンによる子供の躁鬱病の脳神経倫理に関するものでしょう。というのも、その倫理的な結論に至る道筋において重要なのが、はたして躁鬱病が自然種(natural kind)として捉えられるものなのかどうか、という問いだからです。私自身の哲学的関心は、自然種をめぐる認識論と存在論にあるので、そうした関心がまさにこの問いにおいて脳神経倫理とむすびつくことになります。こうして、自分が身に付けた哲学的な概念装置が脳神経倫理における有効なツールとして機能する可能性を見てとることができ、感銘を受けたというわけです。
私自身は、超人類主義(Transuhumanism)に関してポスター発表を行いました。より詳しく紹介すれば、超人類主義がその主張を正当化する道具立ては深く素朴心理学に根ざしたものであるが、しかし超人類という存在の基本的な特徴づけを考慮すれば、そうした正当化は超人類主義と齟齬をきたすのではないか、という、倫理というよりやや哲学的な議論を発表しました。超人類主義はエンハンスメントにまつわる論争においてはきわだって極端な主張であるためもあって、何人かの聞き手にそれなりにインパクトを与えることができました。重要で面白いと言ってくれた方や、超人類の形態が文化ごとに多様化する可能性を示唆してくださった方、それからまったくイデアリスティックな話だ!と言って若干機嫌を損なわれた方などがおられました。このような反応は、哲学的議論が常には受け入れられないということであり、それもまた冒頭で述べたように多様な背景の方がいるということを反映していると言えるでしょう。
学会終了後に脳神経倫理の大物であるマーサ・ファラーにあいさつしたさいに、私がもともとは哲学をやっているのだというと、「われわれはもっと哲学者を必要としている」といっていたのが、強く印象に残るよい思い出になりそうです。
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【西堤優 (共同研究員) “An Extension of the Somatic Maker Hypothesis to Moral Decision-Making”】
私はポスター発表において、A. R. Damasioのソマティック・マーカー仮説が道徳的な意思決定場面にも適応可能かどうかを問うた。この仮説が道徳的行動の説明としても有効であるためには、生理的なレベルの議論を越えて、行動レベルの研究ともっと密接に連携する必要があるというのが私の主張である。この主張は、道徳的意思決定に関与する情動の内容が文化相対的に決定されるという想定に基づいているが、この想定を正当化するために私が依拠したのは、進化倫理学の基本テーゼを批判するJ. Prinzの議論であった。私の発表に対しては、情動の文化相対的な被決定性の観点からソマティック・マーカー仮説の弱点を突く議論のユニークさを評価する意見とともに、私自身の議論展開の不明瞭な点を指摘する意見も寄せられ、私にとって非常に有意義な発表であった。
最後に、この学会全体についても記しておきたい。私にとって印象的だったのは、今回の国際学会で発揮された「笑い」の効用である。もともとフレンドリーな気質の参加者が多かったのかもしれないが、全員が発表や議論の中で気さくにジョークを飛ばしながら、和やかな雰囲気作りを心掛けていたように思う。忌憚のない意見を交換する場でも、議論を楽しむ雰囲気が自然に醸し出されて、それがより広く深い議論へと人々を誘う結果になっているのを実感した。その意味で、笑いの効用は絶大であった。「生真面目」であることが当然と思われがちな学会という場でも、まず「笑顔ありき」。そのためにも、自分の主張を真摯に徹底して吟味しつくすことから生じる気持ちのゆとりの大切さを改めて感じた次第である。
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