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時の彩り(つれづれ、草) 048

2008.10.28 小林康夫

☆ 三つの講演会

先週は月曜に京都(京都造形芸術大学)に出かけて、金曜土曜は泊まりがけで高松へ(文化・芸術による福武地域振興財団の助成活動成果発表会)。そのあいだの火・水・木と連続でUTCPの講演会があって、もちろんその全部に出席。かつ、その後の会食もおつきあい。

火曜はシアトルからいらした若き俊英ロンバルディ先生の講演で、これはUTCP基軸ゼミのひとつ「イスラム理解講座」にも組み込まれたものだが、エジプトにおけるイスラム法と世俗法の関係の歴史的な展開をきわめて具体的な歴史に即して語ってくれたもの。会場では発言しなかったが、終わったあとで構内のレストランへご案内しながら、「人権」という、ある意味では西欧近代的な概念がイスラム法による「review」という審級を通じて導入されたということなのかしら?と問いかけると、そこから銀杏並木の下の暗闇に二人で突っ立ったままで議論がはじめる。テーブルの席でも「イスラム法」と言っているけど、この「法」という概念がそもそも・・・と質問すると、イスラムにおけるいくつかの「法概念」を原語とともに詳しく教えてくれた。

でも、その同じ席の隅で、羽田先生と「人類の歴史」という観点をどう実現するか、で議論したのも楽しかったですね。羽田先生は、そのためには、西欧を相対化する必要がある、という主張だが、わたしはやはり「普遍性」という理念そのものが、西欧というローカルな地方!に誕生した、ということだけは相対化できないでしょう、と幾何学を持ち出して弁護。このつづきはいつか公開で議論しましょう。

翌日、翌々日は、パリ第8大学のバイヤール先生の講義。最初は、3回連続の「大量虐殺を扱った芸術作品」の作品の「モラル」を問う講義の2回目。犠牲者という「幽霊」がどのように作品のなかに出現するか、さまざまな事例を元にその論理を追求。翌日は、これはバイヤールさんの独自の「探偵的批評」の展開で、冒頭からみずからをフィクション化しつつ講演という段取りで「笑わずにはいられない」というパロディ的な展開も。しかし、ある意味では、テクストという聖域に「手をつける」という、道化的でもあり、陰謀家的でもあり、きっと同時に「殉教者」的でもある批評の可能性というわけでおもしろかったですね。講演の後は、下北沢に出て、いまフランスで進んでいる人文科学の一大拠点をつくるという計画への連携の可能性なども含めて議論。

帰途、思い出したが、そういえば、わたし自身もかつてポール・オースターの『幽霊たち』に接木するテクストを書いたことがあったなあ、と。テクストを「プレイ」する感覚に伴う「快楽」、そう、「テクストの快楽」だ!いずれにせよ、「語る」ことのモラルと快楽と。文学の根底。

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