【報告】国際シンポジウム「2008年 英国・オックスフォード大学における小林多喜二記念シンポジウム」
2008年9月16日~18、オックスフォード大学キーブルカレッジで「小林多喜二記念シンポジウム」が開催された。
今年に入ってから、『蟹工船』ブームが起き、小林多喜二という書き手にも大きな注目が集まっている。これは、このシンポジウムの発表の募集があった昨年の11月には予想も出来なかった現象である。8ヶ国から集まった30人以上の発表者は、「多喜二の視点から見た身体・地域・産業」というシンポジウムのメーンテーマのもとに、「女性――身体とメディア」「身体と権力」「地域と植民地主義」「モダニズムとリアリズム、大衆文学」「群衆と闘争」「植民地時代のKorea」「労働と教育に関する諸問題」「多喜二と映画」というパネルに分けられ、活発な議論を行った。
私は「群衆と闘争」というパネルにおいて、「共闘の場における「女」の表象 ― 50・第21回メーデーのポスターを手がかりに―」について発表した。多喜二とは、直接的な関わりはない発表であったが、昨年の発表の募集に示されているように、「今日を照射する国際的なプロレタリア芸術の再検討に、とりわけ重点を置きたい」というシンポジウムの方針に接合できればという思いで応募したわけである。
発表内容は、1950年5月1日、皇居前の「人民広場」で行われた、第21回メーデーのポスターを手がかりとするものであった。そもそも、50年メーデーは、「人民広場」における最後のメーデーであり、60万人参加という「戦後最大の盛んなもの」(『朝日』5・2)になった。52年5月1日が「血のメーデー」として記憶されていることからわかるように、第21回メーデーを境に、労働運動をめぐる状況は大きな変容を見せることになる。
まず、50年のポスターに、衰弱しきった子供を抱いている「母」が描かれ、その「母」を、「戦争反対」「植民地化反対」「民族独立」「全面講和」などの言葉が囲んでいることに注目した。本発表は、この戦争反対のポスターが、朝鮮戦争の勃発前のものであったという歴史的時間を意識しながら、文字言語と図像が交錯しながら、同じ紙面の上に作り上げる「母」の表象を手がかりに、この時期の「共闘」の場におけるジェンダー編成について考えたものである。