【学会参加報告】Modern Korea at the Crossroads between Empire and Nation@ソウル・Behind the Lines: Culture in Late Colonial Korea@トロント
この夏私は韓国学を中心とした二つの国際シンポジウムに参加し発表した。ソウルとトロントで開催されたシンポジウムは、それぞれ現在韓国社会においてもっともアクチュアルな言説の現在形であると同時に海外(といっても北米に重点を置いているが)における韓国学の受容をうかがう機会であるという点において報告に値するものである。
8月8、9日の二日間、漢陽大学比較歴史文化研究所とオスロ大学東方言語学科、コロンビア大学東アジア語文学部の共同主催でModern Korea at the Crossroads between Empire and Nationというタイトルのシンポジウムが開催された。日本、アメリカ、イギリスなど韓国内外の韓国学研究者たちの参加によって行われたこの学会では、中世史から現在の外国人労働者の問題に至るまで実にさまざまな議論が展開された。しかし、その多様な議論が収斂される地点(または各々のファットに対する解釈の地平)はある一貫性を持つものでもあった。それは、「帝国のネーションの交差路」というタイトルがすでに象徴しているように植民地の経験と以後の暴圧的な近代化から生まれた現在の韓国社会を支えてきた言説の形成過程そのものを読み取ろうとするものであった。これは、その場に集まった人々の面々からも理解し得るものであろう。シンポジウムの主催者の一人であるイム・ジヒョンは1990年代中後盤から「内なるファシズム」「大衆独裁論 mass dictatorship」などの議論で韓国人文学の言説を主導してきた人物である。ユン・へドン、キム・チョル、キム・ウンシルらはそれぞれ歴史学と文学、ジェンダースタディーの場を踏まえながら国民国家づくりという戦後の大韓社会が形成した言説を解体してきた。彼らを含む国内外の若い研究者たちの間で行われた二日間の熱烈な討議は、基本的にはこのような問題意識の延長線上で行われた。しかし、ここにある種の困惑が生じたことは否めない。例えば、15世紀の朝鮮の成立過程を野蛮と文明という近代的(或はポストコロニアル的)概念を用いて説明できるかどうか、1990年代から始まった知識人の言説自体が、韓国社会が世界資本主義の中心部に進入した結果にすぎないものではないだろうかという問題。あるいはグローバリズムの激しい波のなかで、戦後の韓国社会の近代化に対する批判として行ってきた民族主義への批判(特に80年代への反省)は依然として有効なものであろうかという問題がある。
私はシンポジウムの二日目に徴兵制と映画のジャンルをテーマに発表を行った。発表の要旨は、国民の最低限の条件として徴兵の問題が出てくるときに被虐のメロドラマが浮上するというものであった。徴兵の問題は韓国社会では未だ禁忌の領域であり、それこそアクチュアルなものとして受け入れられている。そういう点で、領域を問わず熱い反響があった。それは、太平洋戦争の最後の時、徴兵制を中心に植民地の中で広げられた問題は、国民の名の下である近代国家の矛盾を赤裸々にみせてくれるものではないかという議論と繫がった。
9月25日にトロントのヨーク大学にて開催されたシンポジウムBehind the Lines: Culture in Late Colonial Koreaは、植民地末期の経験と以後の韓国社会との連続性という問題に焦点をあわせるものであった。ジャネット・プール、アンドレ・シュミット(彼の著書『Korea Between Empires 1895~1919』は韓国の民族主義の起源と歴史を系譜学的に探査するものである)ら北米の地域学研究者が討論者として参加したこのシンポジウムは、北米の地域学の脈絡の中で(例えば制度的に中国学及び日本学と同じの枠を共有しながらも潜在的には比較研究の形を取っている)植民地末期の状況を映画、演劇、文学を網羅するかたちで議論がなされた。一日のみのシンポジウムだったが、トロントではあまり見かけることのない韓国学のシンポジウムだっただけに大勢の聴衆が集まった。シンポジウムには韓国学の研究者だけではなくほかの地域学の研究者も多く参加した。そのせいか(韓国内での植民地研究がよく陥る傾向だと思われるが)韓国の植民地経験を特殊化しないながらもその固有性を汲み取ることのできる議論がなされた。例えば、満州という空間を通じて植民地朝鮮が内部の植民地性をいかに獲得することになったかということを中国学と日本学の研究者らとともに議論できたことは生産的な経験となった。特に、翻訳不可能性と主権概念を連結させたファン・ホドクの発表は、各々の場所とジャンルと概念が交差するこのシンポジウムの性格に符合して興味深い討論がなされた。二重言語作家であった植民地朝鮮の金史良と台湾の作家である龍瑛宗を、魯迅を通じて見ようとした彼の発表は、帝国とその外部の決定を帝国「内部」の分割を再び開示することによって解体させる(ものとして)金史良と龍瑛宗の日本語テキストを分析したものであった。この分析は(ソウルでのシンポジウムに即して言うならば)アーカイブから排除されたテキストをどのように概念化するかということに関して一つの例を提示してくれるものだと評価できるだろう。