【UTCP Juventus】森田 團
特任研究員の森田 團です。哲学・ドイツ思想史を専門としています。
いままで主要な研究対象としてヴァルター・ベンヤミンの思想に取り組んできました。現在、最終段階にある博士論文では、彼の思想が一貫して問題にしてきたイメージと言語、そして神話と歴史をめぐる思考を、同時代の哲学者たちの関係を踏まえながら(とりわけエルンスト・カッシーラーとルートヴィヒ・クラーゲス)、包括的に究明することを試みています。
ベンヤミンについての博士論文提出後は、最広義における「生」の概念を、生の哲学のみならず、ヘーゲルから第二次世界大戦に到るまでの哲学の言説を広く考慮に入れながら考えたいと思っています。現在、アガンベンがフーコーやアーレントに基づいて再び問いに付している生が問題として構成されたのは、まさにこの時代においてであり、その諸前提を歴史的に問うことで、いま再び生を問うことの意義を深めつつ明らかにしたいのです。その際、博士論文で取り組んだ問題の発展でもあるのですが、次の三つの問題に重点的に取り組みたいと考えています(部分的には論文、学会発表、UTCP短期教育プログラムを通してすでに着手しているテーマもあります)。すなわち、1. イメージと神話の哲学(生と世界との根源的な関係)、2. 歴史哲学(生と歴史的世界との関係)、3. 悲劇的なものの哲学(生の美学、生の倫理の源泉としてのギリシア悲劇の再発見)という三つの問題です。
1. イメージと神話の哲学:神話的思考や神話的意識を生じせしめる基盤は言語やロゴス以前のイメージに支配された体験であると考えることができます。このイメージ体験は、前世紀初頭の哲学、宗教学、神話学、精神分析学などで主要な論究の対象となりました。ここではイメージについての原理的な考察(とりわけクラーゲスのそれ)から出発しながら、当時の言説にも広く目をくばりつつ、イメージと生の連関を明らかにしたいと思っています。
2. 歴史哲学:ディルタイ以降の歴史認識論において、歴史が根本的にはある種の想起の作業として捉えられていることに注目し、十九世紀末から二十世紀初頭のドイツにおける歴史哲学の試みを、想起のうちにひそかに働いている想像力の作用から解釈することが第二の計画です。そのとき課題となるのは、想像力がいかに歴史的認識にかかわるのかを、認識論的に明らかにすること、また過去のファンタジーとしても捉えられる神話と歴史との関係を問うこと、また想像力が歴史哲学の密かな前提となっている終末論の観念と本質的に連繋していることをあらわにすることです。またドイツの哲学者たちと並行して、高山岩男や高坂正顕(高坂に関しては、アルフレート・ボイムラーとの比較研究を計画している)などの歴史哲学を読み解くことによって、日本で展開された独特の歴史的思考を明らかすることも今後の課題にできればと思っています。
以上二つのテーマの関係については、『いま、哲学とはなにか』(小林康夫編・ 未來社 2006年)に収録されている「「哲学」における「過去」と「未来」――「いま、哲学とはなにか」という問いについての予備的考察」において少し詳しく展開しています。
3. 悲劇的なものの哲学:悲劇的なものは、ドイツ観念論では、倫理的な領域(運命からの解放のための行為)において話題にされましたが、十九世紀半ば以降には美学的な領域(カタルシスなどの感情)において盛んに議論されることになります(リップス、フォルケルト、フィッシャーなど)。そして二十世紀初頭になると再び倫理的な問題として悲劇的なものが重要視されることになる(ルカーチ、ブロッホ、ベンヤミン、ローゼンツヴァイク)。悲劇的なものが近代においてさまざまなかたちで問い直されることになったのはなぜなのか。この問いを悲劇的なものについての言説の歴史を検討することを通して答えたいと思っています。