【UTCP Juventus】早尾貴紀
UTCPのPD研究員の早尾貴紀です。ヨーロッパ近代の社会思想史(民族や国家に関わる思想の歴史)とパレスチナ/イスラエル問題について研究しており、またそこから「ディアスポラの思想」の可能性についても関心を持っています。
今年はいろいろとやってきた仕事の出版が重なりましたので、その書籍の紹介をしながら、私の関心事についてまとめて書いておきます。
(1)2002年〜07年にかけて書いてきた、ヨーロッパ・ユダヤ思想やナショナリズムと、イスラエル国家/パレスチナ問題との関連についての一連の論考10本を、リライトし一冊にまとめました。早尾貴紀『ユダヤとイスラエルのあいだ――民族/国民のアポリア』(青土社、2008年)という本です。
二部構成として、第一部では、1948年のイスラエル建国期に、ヨーロッパで迫害を受けたユダヤ系の哲学者マルティン・ブーバーとハンナ・アーレントの二人が、シオニストでありながら、純粋な「ユダヤ人国家」を批判し「二民族共存国家(バイナショナリズム)」をいかに模索し挫折していったのかを検証しました。ヨーロッパ近代の国民国家から、マイノリティの「ユダヤ人」は「非国民」として排除され、そしてそれをきっかけに、新たな民族運動としてのユダヤ・ナショナリズムとしてのシオニズムを興隆させていきました。ヨーロッパ内の排他主義という外的要因と、民族自決によるアイデンティティ構築という内的要因が複雑に絡み合うかたちで、ユダヤ人を独自の民族とみなす立場や、さらには独自の国家をもつべきだという立場が生まれてきたのです。ともにリベラルなドイツ系ユダヤ人であったブーバーとアーレントは、ナチズムと対峙しつつも、ユダヤ人内部に興隆してきた新たな排外主義・人種主義とも対峙するという二重の課題に直面しました。彼らの苦悩と矛盾とそして可能性について検討しました。
第二部では、「ユダヤ人国家」として建国されたイスラエルをめぐる欧米思想家の論争史を中心にまとめました。とくに、アイザイア・バーリン、ジュディス・バトラーといった、やはりリベラルなユダヤ系の思想家、そしてパレスチナ人のエドワード・サイードと論争を交わしたユダヤ人のマイケル・ウォルツァーやボヤーリン兄弟などに焦点を当てました。リベラルな立ち位置は、しかしながら、表面的な軍事占領の批判でとどまりがちです。国民国家自体、すなわちイスラエル国家のユダヤ性については不問・不可侵のものとします。そこから、いかに根本的な国民思想の批判へと深められるのか。リベラリズムの陥穽を指摘しつつ、現在の政治情勢にも慎重に目配りをしたうえで、本質的な国民国家批判を展開しました。
(2)上記拙著の作業は、ジョナサン・ボヤーリン&ダニエル・ボヤーリン著『ディアスポラの力――ユダヤ文化の今日性をめぐる試論』(赤尾光春、早尾貴紀[翻訳]、平凡社、2008年)の翻訳刊行とも密接にリンクしていました。
著者のボヤーリン兄弟は、敬虔なユダヤ教徒でありながら、明確な反シオニズム/反イスラエルの立場をとっている思想家です。初めての日本語圏での紹介となるこの翻訳は、「イスラエル=ユダヤ教国家」という、実体的国民国家論を打破し、伝統的ユダヤ教のもつ両義的な可能性を検討するためになされました。実のところ、イスラエルの建国と伝統的ユダヤ教とは、矛盾します。矛盾するどころか、正反対のベクトルをさえもっているのです。ユダヤ教の伝統における「ディアスポラ(離散)」状態とは神から受けた罰ですので、その救済(イスラエル王国の復活)は神によってのみもたらされるものであり、人為的に世俗権力(国家)を求めることは神への冒涜となります。また聖典タルムードの教えは、異教徒(ユダヤ人以外)とは争わないこと、異教徒を支配しないこと、そして暴力に対して暴力で応じず、「女々しく生き延びよ」というものでした。
ユダヤ人のディアスポラ主義とは、この非暴力性によって、異教徒の支配下でも文化的アイデンティティを保持するというマイノリティの戦略なのです。逆に言うと、これに対する近代シオニズムは、「国家のために闘って死ぬことを栄光とするマッチョな国民」を生み出すナショナリズムですから、つまりユダヤ教の否定であることになります。こうした主張を、敬虔なユダヤ教徒思想家が言っているのです。
日本語圏ではまだ論文も訳されたことのない思想家の初めての紹介となる本訳書の刊行で、また議論されている分野も、ユダヤ教・ユダヤ文化、ヨーロッパ思想・現代哲学、文化人類学、カルチュラル・スタディーズなどなど多岐にわたっており、難しい仕事になりましたが、今後大きな発展の可能性ももっている仕事であると思います。
(3)上記二つの仕事に深く関連することとして、イスラエルの歴史学者イラン・パペ氏をUTCPで招聘し、東京での全講演と質疑を日本語訳して刊行しました。『イラン・パペ、パレスチナを語る――「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』(ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉[編訳]、柘植書房新社、2008年)です。
イラン・パペは、イスラエルの歴史修正主義論争において、最もラディカルな立場から議論をリードした「ニュー・ヒストリアン(新しい歴史家)」のユダヤ人です。国家の正史=神話的歴史を厳しく批判したために、イスラエル国内では自国語であるヘブライ語で本を出すことができないほどの嫌がらせを受けています。UTCPのリーダーの小林康夫先生から、イスラエル/パレスチナでのアカデミックな論争状況と招聘に値する先鋭的な研究者について問い合わせを受け、その相談のなかでパペの名前が挙がりました。パペを招聘することにしたのは、彼がイスラエルで最も注目されている歴史家であり、パレスチナ人との共存に向けて実践的な活動にも携わっているからでした。2007年3月に招聘し、全三回(三章)の講演と質疑をおこないました。
第一章は、1948年のイスラエル建国をめぐる暴力=民族浄化の実証史的解明であり、第二章は、その歴史認識をめぐる歴史家論争の紹介であり、第三章は、ポスト・アパルトヘイトの南アフリカ共和国や、北アイルランド紛争などの事例も参照した、新しい歴史叙述の試み、「橋渡しのナラティヴ」の提起となっています。丹念な実証史家でありながら、ラディカルな実践者でもあるというパペの思想と行動は、人文学に関わるすべての人にとって、学問の意味について反省を促すものとなりました。
(4)ユダヤ/イスラエル/パレスチナに関わる一連の仕事に加えて、そこから、「ディアスポラから見た世界の再構築」とでも言うべき作業を、さまざまな分野の仲間たちと進めています。
1、武者小路公秀[監修]、浜邦彦、早尾貴紀[編]、『ディアスポラと社会変容――アジア系・アフリカ系移住者と多文化共生の課題』(国際書院、2008年)
2、臼杵陽[監修]、赤尾光春・早尾貴紀[編]、『ディアスポラから世界を読む』(明石書店、2008年11月刊行予定)
3、『現代思想』2007年6月号「特集:隣の外国人――異郷に生きる」
いずれも、ディアスポラ(離散者)や移民やマイノリティから、世界史や世界像を読み直し再考するもので、多文化主義、共生、人権といった課題についても深く踏み込んでいます。アジア系アメリカ人、カリブ海世界、ユダヤ文化圏、在日華僑、日系ブラジル人、在日コリアン、沖縄出身のハワイ移住者、ムスリム移民、アルメニア問題、などなどの研究者が関わり、討議を重ねたり、論考を寄せたり、その論考をもとに質疑をしたりしてきました。
今後の計画:
1、ユダヤ思想とヨーロッパ思想との関係についての研究の継続
ヘルマン・コーエン、フランツ・ローゼンツヴァイクのドイツ/ユダヤ思想と、その影響を強く受けているエマニュエル・レヴィナス、ジャック・デリダのフランス/ユダヤ思想、この継承関係について。
2、シオニズムの考古学
ボヤーリン兄弟の共訳者である赤尾光春氏らとともに、「シオニズム」の起源/根源について、ロシア・ドイツ・フランス・イギリスなど広くヨーロッパ圏の思想史を多面的に再考する。
3、ディアスポラの思想
ディアスポラから世界を読み直すことに関心をもつ若手の結集、協力によって、討議の積み重ねを今後もしていく。