【UTCP Juventus】 小口峰樹
UTCP若手研究者プロフィール紹介の第六回目は、RA研究員の小口峰樹(分析哲学専攻)が担当します。
私の現在の研究領域は大別して、(1)心の哲学、(2)脳神経倫理学、(3)実験哲学、の三つに区分できます。以下、順を追ってそれぞれの研究内容の概略を述べていきたいと思います。
1)心の哲学
心の哲学のなかでも、私はこれまで一貫して知覚の問題に関心を寄せてきました。それは、志向性や合理性、実在論や懐疑論といった哲学の中心問題を思考する上で、心と世界の紐帯をなす知覚こそが繰り返し俎上にあげられるべき主題であると考えるからです。
修士論文では、知覚経験の内容を「概念的なもの」と捉えたジョン・マクダウエル(John McDowell)を中心に、知覚内容に関する概念説と非概念説との論争をとりあげ、概念説を擁護する立論を構築しました(その中心的な成果は、『哲学・科学史論叢』第10号に掲載の論文「知覚内容をめぐる概念主義の擁護――マクダウエル『心と世界』における経験概念の解明を通じて――」にまとめてあります)。知覚の概念説は、心と世界との間に結ばれる合理的関係を説明する上で、説得的かつ魅力的な描像を提出するものです。しかし、それはしばしば、知覚経験に対して認められるべき基本的な諸性格を歪める帰結をもたらすと批判されてきました。私は、マクダウエルの概念説の論理構造を丹念に読み解くことで、それが〈知覚の受動性〉、〈知覚の透明性〉、および〈知覚判断の非推論性〉といった知覚経験の基本性格を十分に満足しうる知覚像を提供するものであることを示しました。
また、昨年開催された日本科学哲学会第40回大会の個人発表「知覚経験の選言説と概念説」において、マクダウエルが直接実在論を擁護するために提出している「選言説」に対して、概念説を媒介とした擁護が可能であることを論じ、両者が積極的な関係を結びうるそのひとつの理路を整備しました。
マクダウエルの概念説に対しては、心的内容に関して認知科学や脳神経科学が培ってきた近年の諸成果に真摯に向き合っていない、という批判が可能です。私は現在、こうした批判に応えるために、ノエ(Alva Noë)やプリンツ(Jesse J. Prinz)といった論者を手がかりに、概念説の観点から認知の総合的な構図を描き直す作業を進めています。その作業は、「概念」や「理由」に関する基礎的な理解の変更を通じて、概念説そのものの自己変容を促すものになると見込んでいます。
2)脳神経倫理学
私は昨年度よりUTCPの研究員として中期教育プログラム「脳科学と倫理」に携わり、主専攻の心の哲学と並行して脳神経倫理学の研究を進めています。そのなかでもとりわけ、脳神経科学的な技術(機能的磁気共鳴画像(fMRI)や経頭蓋磁気刺激(TMS)など)に基づいた「マインド・リーディング」(心の読み取り)が孕む倫理的・社会的・理論的問題に焦点を合わせて考察を行っております。
今月に勁草書房より出版される『脳神経倫理学の展望』に発表した論文「『究極のプライバシー』が脅かされる!?――マインド・リーディング技術とプライバシー問題」(染谷昌義氏と共著)では、現在のマインド・リーディング研究が抱えている理論的・技術的な困難を指摘するとともに、そうした研究上の困難にもかかわらず、なお社会との臨界で発生しうる倫理的問題に関して検討を行いました。脳科学を取り巻く社会的な言説や運動は、脳情報が担うとされるプライバシー情報を仮構的に実体化し、そうした実体化された情報を誤用・乱用を含むかたちで消費してゆく危険性を孕んでいます。論文では、こうした倫理的問題に対して、暫定的措置と実質的措置の二段階の対処法が必要であると提案しました。
マインド・リーディングに関する倫理的問題を考察する上で不可欠なのが、「心的内容とはそもそも何なのか」という心の哲学に属する問題です。上述の(1)の研究領域での探求は、この問題を考える上で必要な基礎的な素材を提供するものと位置づけられます。
3)実験哲学
現在、「脳科学と倫理」研究班では、短期教育プログラムとして「エンハンスメントの哲学と倫理」が走っています。私はその後継として「実験哲学(experimental philosophy)」に関するプログラムを立ち上げるべく準備を進めており、その初発として、先日の中期教育プログラム中間報告会にて実験哲学を紹介する発表を行いました。
従来の分析哲学はアプリオリな直観に基づく「概念分析」を中心的な研究手法として進められてきました。しかし、そのとき訴えられている概念的直観は一枚岩のものであると仮定され、哲学者自らのもつ直観が人類を代表するものであると暗黙のうちに前提されてきました。近年の研究では、哲学者がその普遍性を想定していた直観のうちに文化的な多様性が認められることが明らかにされてきており、従来の個人的な概念分析(あるいは哲学者共同体に閉じられた概念分析)という手法が反省を迫られるという状況が生じてきています。
実験哲学はこうした状況のなかで登場してきた新しい哲学の方法論であり、哲学者自らが調査分析に基づいて広く間文化的に直観の収集を行い、それをデータとして理論構築を行う点に特色があります。実験哲学に依拠した研究では、認識論・行為論・倫理学などの分野ですでに従来の見方を覆す成果が報告されつつあり、将来的には哲学を行なう方法論として常態化されることが期待されています。
今後は、実験哲学に関するメタ哲学的な考察を進めるとともに、それを心の哲学や脳神経倫理学の具体的な問題に対して運用するための実験デザインの構築が課題となります。すでに先日招聘したプリンツ氏(氏は実験哲学の代表的な推進者の一人でもあります)との間では、将来の実験哲学研究に関する相互協力の約束を交わしています。こうした国際的な研究協働を行う体制の整備も同時に課題となるでしょう。
以上、三つの研究領域にわたって私の研究内容を(今後の見通しも含め)紹介してきました。これらを三位一体のものとして研究活動を着実に展開していけるよう、今後とも努力を重ねてまいります。