【UTCP Juventus】太田啓子
UTCP若手研究者研究プロフィール紹介の八回目は、特任研究員の太田啓子(メッカ・シャリーフ政権史、アラビア半島・紅海文化圏の歴史)が担当します。
私はこれまで一貫してアラビア半島・紅海文化圏の歴史を研究課題としてきました。本研究プロフィール紹介においては1. 今までの研究経過、2. 現在関心を持っていること、の二点についてご紹介したいと思います。
1. 今までの研究経過
お茶の水女子大学文教育学部史学科においては、10世紀以降活発化したメッカ巡礼という現象に着目し、主に北アフリカ出身者によって著されたメッカ巡礼記を史料として用い、前近代の中東においてメッカ巡礼が果たしていた宗教的・社会的機能を検証しました。
同大学大学院修士課程に進学した後は、都市メッカが果たしていた機能を解明するため、そのメッカにおいて地域支配を担っていたシャリーフ(預言者ムハンマドの子孫)による政権を取り上げ、地域支配の実態および外部諸勢力との外交関係の検討を行ないました( “The Meccan Sharifate and its diplomatic relation in the Bahri Mamluk period,” Annals of Japan Association for Middle East Studies 17/1, 2002)。
同大学大学院博士後期課程においてはこの研究成果を更に発展させ、メッカ・シャリーフ政権の王権の性格を明らかにするべく、政治、外交面と商業、経済面を結びつけた分析を行ないました。その試みの一つとして、国際商業ルートの変遷がメッカおよびシャリーフ政権の経済的基盤に与えた影響を検証しました(「13-14世紀のシャリーフ政権:メッカにおける巡礼と商業」『東洋学報』第89/3号、2007年)。また、商業中継港としてのジッダの興隆がマムルーク朝の対ヒジャーズ政策およびメッカ・シャリーフ政権の性格にどのような影響を与えたのかを明らかにするため、ジッダのトポグラフィーおよびその性格の歴史的変遷について考察しました(「ジッダの都市構造と歴史的変容:ブルジー・マムルーク朝期を中心に」『オリエント』第50/2号、2008年)。
以上の研究に基づき、メッカ・シャリーフ政権がメッカの聖地性と預言者ムハンマドの子孫としてのシャラフsharaf(高貴さ)という二元的な権威を持つ王権であったこと、外部諸勢力との国際的なパワー・バランスの上に存立し、外部諸勢力とシャリーフ政権の間には相互依存関係が構築されていたことを明らかにしました。この意味でメッカ・シャリーフ政権は従来の、政治権力としての国家と、国家の基礎となるべき農業経済、農村社会の存在を前提とするイスラーム国家像に新たなモデルを提示する王権と言えます。この研究成果を2008年、博士論文として提出しました(「メッカ・シャリーフ政権と紅海貿易:中継港ジッダの興隆とマムルーク朝の対ヒジャーズ政策」お茶の水女子大学大学院人間文化研究科比較社会文化学専攻2008年3月提出)。
2. 現在関心を持っていること
(1) シャリーフ政権の比較を通じた、イスラーム国家論へのアプローチ
各地に存在するシャリーフによる政権と、メッカ・シャリーフ政権の比較・検討を行ないたいと考えています。それぞれのシャリーフ政権の権力基盤、外部諸勢力との相互メカニズムの分析を通じ、個別政権を越えた政治権力の構造が解明されると期待しています。分析対象とするシャリーフ政権は、歴史的シャリーフ政権(マルアシー政権、サファヴィー朝、サアド朝など)と現代に生きるシャリーフ政権(アラウィー朝、ヨルダン・ハシミテ王国など)の両方を考えています。
(2) 紅海文化圏の港市研究
紅海沿岸諸都市に関しては主に交易ネットワークの観点からの研究の蓄積がありますが、当該地域の文献史料上の制約という理由から、カイロ、アデンなど一部の都市についての研究にその範囲は限定されています。近年著しい進歩を見せている考古学的研究、発掘調査の成果をこれまでの叙述史料に基づいた歴史研究に補完的に利用することにより、紅海沿岸諸都市の歴史的変遷、トポグラフィーが明らかとなり、紅海文化圏の港市研究を発展させていくことが可能となるのではと考えています。
(3) オスマン朝期以降(16世紀~)のメッカ・シャリーフ政権
オスマン朝期の研究では従来の叙述史料に加えて文書史料の利用可能性が高まります。行財政文書、ワクフ・アルハラマイン(二聖都メッカ・メディナに対する寄進に関する文書)を分析することにより、オスマン朝期のメッカ・シャリーフ政権および紅海文化圏についての研究を発展させていくことが可能となるのではと考えています。
(4) 他のイスラーム教の聖地とメッカの比較
メッカと同じくイスラーム教の聖地であるメディナ、エルサレムとメッカを比較・検討することを通じて、メッカの持つ独自性、聖地としての普遍性を明らかにすることができるのではと考えています。
(5) 巡礼、聖者信仰研究からのアプローチ
文化人類学、社会史的視点を歴史研究に取り入れることにより、シャリーフ政権の果たしている政治的・社会的機能を総合的に分析することが可能となると考えています。
以上をもって研究プロフィールとしますが、最後に一つ個人的な研究動機を付け加えさせていただくとすれば、父の仕事の関係で幼少期を過ごしたサウディアラビアへの憧憬の念が挙げられます。モスクから聞こえる礼拝への呼びかけ、紅海に落ちる夕日、大巡礼の時期に世界中から集まってくる白衣の巡礼者、犠牲祭にて屠られる家畜、何もかもが私にとっての原風景です。サウディアラビアという国は現在でも公用・商用、メッカ巡礼目的以外での入国がほとんど許可されず、また女性の一人旅を禁じるイスラーム教の教義からも渡航の極めて困難な国でありますが、私は研究活動を通じて愛してやまないアラビア半島の地を訪れているのかもしれません。