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時の彩り(つれづれ、草) 040

2008.07.24 小林康夫

☆ スナップ・ショット(延命十句観音経、アナンケ、その他)

前回七夕のブログからもう半月あまり。まさに光陰如矢ですね。この間のスナップ・ショットをいくつか。

前日の表象文化論学会での柳澤田実さんのイエス・キリストについての発表が残っていてイエスの「ディスポジション」について考えていたままで、カスリスさんの講演をきき、その夜、先生を囲んでみんなで会食。話は、なぜか白隠のことになって、いろいろなテクストをこれもおもしろい、あれもすてきとやっていたら、突然に、カスリスさんが延命十句観音経と言い出して、わたしもいっしょに「観世音 南無仏 与仏有因・・・」とはじめたのだが、こちらはすばやく思い出せなくて、完全にカスリスさんの勝ち。しかしこんなものがすらすら口をついて出てくる日本思想研究者が海外にたくさんいるという事実にあらためて目を瞠る思い。楽しかったですね。

そして9日はPDの平倉圭さんのゴダールをひとつの焦点にした発表をきいて、まだコメントしきれていないというもどかしさを抱えたままで、今度はシェパードソン先生の講演。アンチゴネーについてというので、こちらも20年前くらいに、なにも成果を発表しなかったけれど、ソフォクレスを読んでいたこともあって、ひさしぶりに思い出したぞ、「アナンケー」という言葉を。というわけで、先生の読解に向かって、「終わり」と「アナンケー」の読解を対峙。これはなかなかスリリングでおもしろかった。その後の会食では、来年ボストンで行われる精神分析と哲学の学会が悲劇をテーマにするらしいので、それなら日本からは「能」でしょう、などと盛り上がりました。

翌日は、朝からムーティさんの「近代の超克」論のレクチャー。さらに土曜の国立台湾大学のみなさんを迎えてのシンポジウム。やはり海外からの一行を迎えるには、リーダーがなにかしなければ、というわけで、新しいものは準備できないので、わたしにとっては「十八番」でもある、デリダ譲り(ということにしている)「公案」(「法の前」)を少しアレンジ。王前さんの通訳なので大船に乗った気持ちで「ご挨拶」だけはした。夜の会食の会では、3月の北京大をお迎えしたときと同様、墨で「書」をお願いしたら、年長の林義正先生、さすが、わたしの基調講演を踏まえた対句をさらさらと。とても深いところでなにかが通じていく、という感覚がすばらしい。

そして15日にはプリンツさんの一般向けの講演もあった。トロッコ問題というよく知られた(擬似)問題をテーマに「カント対ヒューム」で味をつけるという明晰なわかりやすい構成。道徳と感情の問題が焦点。会場では、口を挟まなかったが、懇親会で、これもデリダ譲りとも言えるが、カントにとっては、道徳の根源的な「感情」は「尊敬」だったんですよ、と突っ込むと、かれはちゃんとわかっていて、じゃ、今度、「尊敬」をめぐって、ミニ・コロキアムをやりましょうか、などという話になった。理性と感情とあいだに「橋」をかける「尊敬」の両義性。そのうちfMRIが尊敬ニューロンなんてのを見つけるのかしら??

体力的にはこのあたりで、わたしもいったん力尽きた感じ。なにしろこの合間に、連載原稿を書いたり、授業・試験は当然として、会議、マネージメント、結婚式、お葬式と。「7月煉獄」というのがわたしの口癖だったが、これから「真打」のポストーン先生も登場する、まだまだ煉獄は続く・・・。

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