【報告】 From Life to Mind to Life/Mind
昨日、エゼキエル・ディ・パウロ氏 (University of Sussex) による講演会、「From Life to Mind to Life/Mind」が行われた。
私たちは生命(life)であると同時に心(mind)を持つ。物質のやりとりによって記述される代謝系であると同時に、自らに固有の経験(experience)をもち、世界のなかで関心(concern)をもつような存在である。このLife/Mindの二重性を、「オートポイエーシス+適応性(adaptivity)」というモデルで捉えよう、というのがディ・パウロ氏の基本的なアイディアだ。
生物学の哲学を展開したハンス・ヨナスは、物質のたえざる流れから、外部から区別されるようなアイデンティティが切り閉じられてくる場面を代謝系に見出した。代謝系は、みずからのアイデンティティを自律的に――しかし不安定性(precarity)をもって――たえず生み出し続けるシステムである。その姿は、マトゥラーナとヴァレラによって提案されたオートポイエーシス理論によってうまく記述される。
オートポイエーシス理論は、現在の「認知科学(cognitive science)」では扱うことのできないいくつかの問題――そもそも「エージェント」とはなにか、それはどのように発生するのか、「アイデンティティ」はどうやって発生するのか、etc.――を扱うことができるようにしてくれる。それが(コグニティヴィズムと対比される意味での)エナクティヴィズム(enactivism)、つまりエージェントを環境のなかで捉えようとするアプローチのすぐれた点だ。
しかし生命であると同時に心をもつ私たち〈動物〉のありかたを記述するには、オートポイエーシスだけでは足りないとディ・パウロ氏は言う。そこでは「sense-making」の問題、すなわちある系にとっての価値(value)の発生がうまく記述されないからだ。
「sense-making」の問題を考える上で、ディ・パウロ氏が注目するのは、系の生存能力(viability)の観点である。ある系は、環境が与える複数のパラメーターのなかで、自らが生存できる領域をもつ。領域の外に出れば系は壊れ、自律したアイデンティティを失ってしまう。この事実が、系に規範(normativity)――ある系にとって何が「+」ないし「-」の価値をもつのか――を与え、系に習性(habit)を与えている。ディ・パウロ氏はロボティクス研究者として、シミュレーション実験をもとに、環境の中で系の習性が動的に作り出されていくさまを示してみせた。
ディ・パウロ氏によれば、重要なことは、ここでは系のオートポイエティックな自律に何かを「追加」することによって〈動物〉の可能性――自律した規範的な系、「経験」する系の可能性――が考えられているのではない、つまり、lifeからmindへ(life to mind)ではない、ということだ。ある代謝系は、それ自体として、みずからに固有の生存の領域をもっている。その領域の境界線での交渉が、ひるがえって、たえず代謝系に影響を与え、ときには系を崩壊に導く。崩壊しうるという不安定性が、代謝系をたえず規範的な存在にするのだ。
系の生存能力、つまり環境への適応性(adaptivity)によって、規範は系の不安定な自律性とともにたえず発明されている。そのようにしてsense-makingは自然化(naturalize)される。
報告:平倉圭