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報告 「世俗化・宗教・国家」セッション3

2008.06.11 羽田正, 世俗化・宗教・国家

6月2日、「共生のための国際哲学特別研究I」第三回セミナーが開かれた。

今回は『岩波講座 宗教 1 宗教とは何か』(岩波書店、2003年)より小杉泰「宗教と政治-宗教復興とイスラーム政治の地平から」、『岩波講座 宗教 3 宗教史の可能性』(岩波書店、2004年)より山中弘「宗教社会学の歴史観」の二点の論文が取り上げられ、報告担当者による報告と出席者による議論が行なわれた。

小杉論文(報告担当者:加藤玲衣亜、地域文化研究M1)は20世紀後半以降様々な地域で顕在化している宗教復興という現象に着目したものであった。著者はまず政教分離をめぐる問題を取り上げ、近代の「世俗国家」や「政教分離」という概念が、キリスト教を宗教・文化的背景として形成された啓蒙主義に基づく西洋近代思想の中にある「宗教」「世俗」観によって規定されたことに言及する。その上でイスラーム政治の事例を取り上げ、「政教二元論」的な西洋型政治とは異なり、イスラーム政治は「政教一元論」的であり、イスラーム世界の人びとはこうした世界認識に基づき「世俗国家」を受容したため、イスラーム世界における「世俗国家」「政教分離」が西洋近代のモデルと乖離する結果となったと分析する。さらに著者は、国民国家の「世俗性」が普遍的有効性を失ってきている現在、宗教復興という現象にともなって民族に溶け込んでいる宗教が政治性を帯びて復活する可能性があると指摘し、ヨーロッパ中心主義的な政教関係の認識ではない、「宗教」の再定義、政教関係の新しいグローバルな類型化が必要とされていると結論づける。

著者が指摘する、西洋近代的な概念を非西洋社会に当てはめることの危険性は、事例として取り上げられている中東地域以外を比較・分析の対象とする際にも我々が留意しなければならない点である。また、宗教思想とナショナリズムの相互作用についての分析も現代の宗教復興という現象を考えるにあたり看過できない。その一方で、著者が行なっているイスラーム型政治と西洋型政治の比較に関して、結果的にイスラームの「理念」と西洋の「現実」の比較となっているのではとの意見も出席者から出された。

山中論文(報告担当者:見瀬悠、人文社会系研究科西洋史学M1)は、世俗化論を検討することを通じてその背景にある宗教社会学に通底する一つの歴史観を検討し、現代社会の宗教の分析視角を模索することを試みた。著者はこれまでの「正統派」世俗化論を検証し、世俗化論が社会構造上の変動と認知様式の変容を不可分とすることで、近代化にともなう意識の合理化、すなわち宗教的信仰の衰退と周辺化という言説を前提として抱え込んでいると批評する。続いて著者はバーガーの世俗化論の分析を通じて正統派世俗化論の背後に潜む人間観を明確化し、近代化・世俗化が超自然的なものへの依存からの脱却と理性的・合理的な世界解釈へと結びつくと考えることは、「近代社会における人間のあり方」という古典的宗教社会学の根本的な問いの矮小化ではないかと訴える。その上で宗教を社会制度としてではなく、「柔軟性と予想不可能性を特徴とする文化的資源ないし形態として概念化する」必要性を主張する。

国民国家という西欧近代に典型的なモデルの上に成立する世俗化論が、グローバル化にともない多中心化した現代世界においてもはや有効な説明原理ではないという著者の指摘は、現代社会における宗教と政治の問題を考察する上で示唆に富んでいる。その一方、著者自身が本論においては当初の問題設定の解を出すに至っていないのではとの意見が出席者から出された。

報告者:太田啓子

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