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【報告】世界の中に人を位置づける (鈴木生郎さん講演会)

2008.06.12 └エンハンスメントの哲学と倫理

第二回「エンハンスメントの哲学と倫理」研究会では、慶応大学文学研究科後期博士課程の鈴木生郎氏を招き、「世界の中に人を位置づける―人についての四次元主義的捉え方に対する批判的検討―」と題して講演していただいた。

 土曜日の午後からの開催であったにもかかわらず、鈴木氏の講演会には多くの参加者を迎えることができた。集まっていただいた方々に、この場を借りて感謝したい。

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 「人 person」、とりわけその同一性をめぐる議論は、ジョン・ロックを引き合いに出すまでもなく、哲学上、連綿と継続してきた問題圏を構成している。人の同一性の問題とは、ある人が時間を通じて同一の人であるといえるための基準は何か、それはたとえば身体の同一性なのか、それとも記憶など心理的な要素が必然的にかかわるのか、といった問いをめぐる議論にほかならない。そして、この問題は、そうした問いからただちに見てとれるように、人が世界の中でいかなる身分を有して存在しているかということを明らかにしようとする点で、すぐれて存在論的・形而上学的な問題である。

 鈴木氏の講演は、人の同一性がどのような問題であるかを非常に平易に説き起こすことから出発している。「人」という日常的な対象が、実は謎に満ちた対象であることが示されていくという、いわば哲学のスリルが味わえる場面である。ここで取り上げられた論点のひとつを取り上げるとすれば、「思考する動物の問題 thinking-animal problem」が印象的であった。すなわち、心理的な連続性を人の同一性の基準におく心理説は、なるほどある面ではきわめて直観に訴える力を持つものだといえるが、しかし一方で人が物質的対象であるというこれまたもっともな立場をとるならば、今まさに自分が思考しているとき、自分という人と、それと重なるホモ・サピエンスという種に属する動物がともに思考していることになる、という奇妙な帰結が生じてしまうという問題である。

 鈴木氏の講演は、人の同一性をめぐる問題を解決するひとつのアプローチとして、現在の分析的形而上学において一定の支持を集めている「四次元主義 four-dimensionalism」と呼ばれる試みを紹介し、そのうえで四次元主義を批判的に吟味することを主要な狙いとしている(なお、鈴木氏によれば、「分析的形而上学」とは、おおよそ「分析哲学において蓄積されてきた様々な論理的手法に基づいて、古典的な形而上学的問題を可能な限り明晰な仕方で探求する分野」のことである)。四次元主義は、時間的・空間的部分からなる「時空ワーム spatio-temporal worm」として人を捉える。この捉え方のもとでは、人の同一性をめぐる問題は、ある時空ワームを一人の人と見なせるかどうかという問題として表わされることになる。このアプローチの優れた点は、あらゆる物質的対象を四次元ワームとして捉える一般的枠組みにおいて人の存在論的身分を扱うことができるということや、先の「思考する動物の問題」に一定の解決を与えることができるということなどに求められる。つまり、四次元主義は十分に「世界の中に人を適切に位置づける」ことに成功していると 言えるように思われるわけだ。

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 ところが、こうした四次元主義は、一方で別の奇妙な帰結を生み出してしまう、と鈴木氏は論じる。四次元主義においては、ある人物(たとえば太郎)の時空ワームの前半生の部分を別の人物(たとえばパトナム)の時空ワームの後半生の部分とつなぐことが許容される。だが、この「太郎‐パトナム」ワームのうち太郎のワームの半分に相当する部分が自分の後半生について思考しているとき、それはもちろん太郎の後半生について思考していることになるが、しかしそのワームそのものは後半生においてはパトナムのものになるのだから、自分とは関係のないワームについて考えていることになり、どうにも奇妙な事態と言うほかない。そして鈴木氏は、この問題の淵源を性質帰属の理論的枠組みに求めており、これを解決するには四次元主義を大幅に改編せざるをえないと思われる、と結論した。鈴木氏の発表後、ディスカッションに移った。中心的なものとしては、人ワームの時間的部分に「思考している」という持続性を有した心的性質を帰属させることをめぐって議論がなされた。 

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 われわれにとって今回有益だったと思われるのは、人の同一性をめぐる分析形而上学の知見を学ぶことができたことに加え、鈴木氏を含め慶応大学の哲学研究者の方たちと貴重な交流の機会をもつことができたということだろう。関心を共有する者同士の研究会などで個人レベルでの交流が存在しているにせよ、その範囲を超えて異なる分野を研究している接点をもつ機会は、案外と少ないように思われるからである。こうした交流を大切にしつつ、さらにわれわれとしては、人に関する分析的形而上学の豊富な資源をエンハンスメントという文脈にいかに接合し、そこから生まれるであろう新しい観点がどのような意義を有するかを明らかにしていきたいと考える次第である。

植原亮

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