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中島隆博+ジョエル・トラヴァール ジョイント・セミナー第1回報告

2008.06.05 └中国儒学, 哲学としての現代中国

中期教育プログラム「哲学としての現代中国」の一環として、「中島隆博+ジョエル・トラヴァール ジョイント・セミナー」(使用言語:英語・中国語)が催されている。その第一部は、トラヴァール氏の「ポスト儒教社会における政治と宗教」というテーマによる講演で、5月1日(木)と5月13日(火)に行われた。

 5月1日の講演は、「大衆宗教と世俗化の原理」というテーマに基づいたものであった。トラヴァール氏によって議論の土台として示されたのは、世俗化の現象をめぐる社会学からの「否定的」アプローチと哲学・歴史学からの「肯定的」アプローチである。そして、この二つの視点を媒介に中国の現在の「大衆宗教」の問題を分析する試みが行われた。トラヴァール氏は、Jules Monnerotと Hannah Arendtの「世俗化された宗教」をめぐる論争において、焦点化された、世俗化をめぐる二項対立的な分析(例えば、宗教的/世俗的、この世/あの世)だけでは、現在の中国の大衆宗教をめぐる生産的な議論はできないと指摘した。氏によれば、中国には、二つの次元を複合的に持つ一つの世界が存在するという。ここでの二つの次元は、可視的な世界(人間のための空間)と非可視的な世界(神のための空間)という言葉で言い換えられることができる。トラヴァール氏は、政治権力によって「迷信」と名付けられ、弾圧を受けてきた非可視的世界が、どのようなコンテクストの変化によって可視的な世界の文脈と交渉しながら召還されることになったのかについて、「伝統的中国医学」が「科学」の名で、再定義されるプロセスなどを提示しながら説明した。

 5月13日の講演は、「最近の知的論争における政治-宗教」というテーマに基づくものであった。この日の講演は、以下の二つの軸によって構成された。(1)儒教が、中国の「市民宗教」になりうるのかについては、Chen Mingの「市民宗教」をめぐる議論を援用している。それに対し、(2)欧米の宗教的伝統から見出された「政治・神学的」リソースと、「中国文化(儒教的コンテクスト)」との遭遇をめぐっては、Liu Xiaofengの文章などを援用しながら説明した。トラヴァール氏によるこの日の講演は、今日の中国の政治-宗教をめぐる、以上の二つの異なるアプローチに焦点を当てながら、儒教的なコンテクストにおいて、政治-宗教の問題を考える際、民主主義的経験が刻まれている批評がどのような生産性を持ちうるのかを問うものであったといえよう。

(報告:高榮蘭)

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