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報告 「世俗化・宗教・国家」セッション 5

2008.06.26 羽田正, 澤井一彰, 世俗化・宗教・国家

6月16日、「共生のための国際哲学特別研究I」第五回セミナーが開かれた。

今回は、工藤庸子『宗教vs.国家』講談社現代新書、2007年を題材に、著者の工藤教授をお招きして、とりわけフランスにおける国家、宗教、世俗化の問題についての議論が行われた。
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まず、報告者(岩堀兼一郎・総合文化研究科)によって、概要の説明がなされ、多くの論点が提示された。ここで、そのすべてに言及する余裕はないが、とくに興味深いと感じられたものについて、いくつか取り上げてみたい。

最初に、本セミナーにおいて、これまでも何度となく取り上げられてきたライシテlaïcitéという語の起源はどこに求められるのか、という問いが参加者からなされた。これについては工藤教授によって、ライシテという言葉自体は、1887年が初出であるが、ライックlaïcという語に限れば、その起源は、宗教改革においてマルティン・ルターが「民事についてはライックで裁くべきである」と発言したことにまで遡るのではないかという回答がなされた。

 また、1801年にナポレオンと教皇ピウス7世との間で締結された政教条約(コンコルダート)と、ライシテが、まったく逆方向を向くものであったという記述に対して、参加者からは、政治権力が宗教を管理するという意味においては、コンコルダートもまたライシテと同じ方向性をもつものではなかったかという指摘がなされた。
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さらに、ライシテがフランスにおける共和制を延命させるための装置であったのではないかという工藤教授の見解は、大変興味深いものであった。とりわけ1989年からフランスにおいてスカーフ問題が顕在化すると、信仰の問題というよりも、むしろ社会秩序の問題としてとらえられたこの問題を解決するために、スタズィ委員会Commission Stasiが組織された。その結果、2004年に公共の場におけるスカーフ着用を禁じた法律が成立するが、その際には1905年に成立したライシテ法の意味を問い直し、そこに立ち返ろうとする動きが顕著に見られたという。
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第五回セミナーは、フランスに焦点をあてつつ、国家と宗教とのかかわりをこれまでの各回よりも具体的に議論することができたと感じられた。また、近く予定されているジャン・ボベロ教授を迎えてのセミナーに向けて、基礎知識を獲得し論点を整理するという意味においても非常に有益なセミナーとなった。

工藤庸子先生のブログ
「共和国」という、この困難なもの(その1)
「共和国」という、この困難なもの(その2)
「共和国」という、この困難なもの(その3)
語彙の問題(話のつづき)


報告者 澤井一彰

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