【報告】話すとは何か?―身振り・イントネーション・意味
5月21日(水)、言語学者のマリー=アニック・モレル氏(パリ第三大学)をお招きし、「話すとは何か?―身振り・イントネーション・意味」というテーマで講演会が開かれた。
20世紀文化と「言語学」の蜜月がいったん終局したいま、言語をめぐるアクチュアルな研究動向は、どのような思考のヒントを与えてくれるのだろうか。今回のセミナーで浮上してきたのは、身体・時間・他者という三つのキーワードであった。
モレル氏によれば、イントネーションや身振り、眼差しなどの変化は、言語的メッセージにとって、たんに付随的なものではない。言語が有効に働くためには、発話行為の様々な次元において、他者が伝えようとする「意味」をたがいに「先取り(anticipation)」しあい、「共言表(coénonciation)」の関係を維持する必要があるからである。こうした観点から、今回のセミナーでは、まず学生二人の会話記録をサンプルにして、音高や休止(メロディーやリズム)を数値化しつつ、眼差しのやりとりも考慮に入れ、何気ないおしゃべりを支えるポリフォニックな「共言表」の構造を詳しく分析して頂いた。また、高機能自閉症(アスペルガー症候群)における「他者理解の失調」がどのように発話行為のディテールと相関しているのか、その研究の一端として、イントネーションの硬直化に着目するアプローチが紹介された。
「話す」ことのリアリティへ肉薄しようとするモレル氏の試みは、どこか「生態学(éthologie)」を思わせる分析へと――身体の〈強度的〉諸表現が織りなす、いわば〈生態の統辞法〉の解読へと向かっている。そうした試みは、小林リーダーが示唆したように、おそらく「倫理(éthique)」という響きとも共鳴するものだろう。意味の多感性的な「先取り」によって回り続ける時間、そのただなかで自他を結ぶ「共言表」の音楽的共同性――エマニュエル・レヴィナスの著作を想起させるこの「時間と他者」の交わりに「身体」を開くこと、それこそが「話す」ということの〈エートス〉にほかならない。スピノザの『エチカ』をもじって言うならば、われわれはいまだ「身体が話しうること」をよく知らないのである……。
(文責:千葉雅也)