イラン・パペ講演集、刊行——パレスチナ/イスラエル現地から「共生」への倫理を問う
昨年UTCPで招聘した、イスラエルの歴史家イラン・パペ氏の日本講演集が、書籍として刊行されました。
『イラン・パペ、パレスチナを語る――「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉編訳、柘植書房新社、2008年、2800円
これは、現代世界において「共生」を考えるにあたっての必読書である、と言いたい。「共生のための国際哲学」を論ずるにあたって、ここまで真っ正面から議論を展開し、討議を深めた学者はそうそういないだろうとさえ思えます。
パペ氏は、イスラエルのユダヤ人歴史家です。イスラエルのマジョリティであるユダヤ人でありながら、しかし、イスラエルの国家政策であるパレスチナの占領はもとより、イスラエルという「ユダヤ人国家」が建国された歴史的過程そのものに対して、実証史的な立場から強烈な批判を展開します。そしてそれと同時に、パレスチナ人たちと、批判的な対話を実践します。
実証史的立場とはいえ、素朴実在論にたっているわけではありません。イスラエルの建国神話(「民なき土地に、土地なき民を」に代表される離散ユダヤ人の国民化を正当化する神話)を批判する厳密な資料精査、そしてそれに基づく新しい歴史のナラティヴ(語り方)を、パペ氏は模索します。
そして、パレスチナ人との対話にしても、たんに「親パレスチナ」というスタンスをとるわけではありません。自分の属するイスラエルやマジョリティのユダヤ人に対して批判的であることによって、同時にパレスチナの排他的なナショナリズムに対しても批判する姿勢を明確にします。とりわけ民衆の視点を軽視した党派の権威主義には容赦ありません。そのことではじめて、イスラエルとパレスチナ、ユダヤ人とアラブ人とを架け橋するナラティヴを構築できるというわけです。
「共生」というのは、実は語るだけなら容易なことです。美しい言葉であり、そして誰も共生という理念は否定できません。争いがなく仲のいいことを嘆く人はいないでしょう。
しかし、いったい誰が誰に向けて「共生」を訴えるのでしょうか? またどうしてそこには共生が呼びかけられる必要があるのでしょうか?
そこには、共生が否定されてきた過去があり、また共生が求められる現実があります。それには、そういった歴史性と政治性とが反映されているのです。パペ氏が提言しているのは、その歴史性と政治性に真っ正面から向き合う、共生のための「倫理」です。支配の歴史や不平等の現実を隠蔽するような、安穏としたお題目の共生とはまったく異なる、血の滲むような実践だと言えるでしょう。
そしてパペ氏は、自ら関わってきたアパルトヘイト後の南アフリカの新しい教科書づくりなどの経験なども紹介しながら、参加者らからの日本の東アジア地域における歴史的な軋轢についての意見や質問にも、誠実に応答しています。「共生のための国際哲学」をまさに身をもって体現するような対話になっています。
ぜひご一読を!