中期教育プログラム「哲学としての現代中国」第6回報告
中期教育プログラム「哲学としての現代中国」では、この二十年余り中国で続いている「儒学復興」という古典回帰の現象を課題の一つとして取り上げ、儒学が現代中国でどのような役割を果たしているかを明らかにしようと試みてきた。1月15日、若手研究員三人が発表を行った。
礼楽思想の儒学における位置は周知のとおりである。発表は、まず「楽」から始まった。田中有紀は「王光祈と比較音楽学――近代中国における国楽――」というテーマで発表を行った。この発表では、民国初年の音楽研究家である王光祈を取り上げ、当時の西欧における音楽学(特にベルリン学派)、そして同時代の音楽研究家と比較しながら、彼の音楽史研究の具体的な様相を分析した後、次のような問題が提起された。つまり、「民族精神」を養成するために「国楽」の創出に尽力した王光祈は、実際には「国楽」の完成が果たされなかったばかりか、「国楽」が如何なるものなのかでさえ、具体的には示さなかったのに、なぜ80年代から脚光を浴びることになったのか。田中によれば、単なる旧楽復興は「国楽」とはならず、外来文化を意識し、選択的に取り込むという過程を経た上で、新しい「国楽」を模索することが求められるため、西洋留学経験者であった王光祈は、まさに外来文化を鑑み、「民族精神」を考慮しながら、「国楽」を模索した典型例とされた、と言える。
続いて喬志航が「康有為における孔子の位置づけ」と題して発表を行った。孔子の教えの普遍的な意味を宣揚する「儒学復興」は、一見するところ、新文化運動から、文化大革命の批林批孔運動を頂点とした反孔子、反儒教の運動を挟みつつ、清末民初期の康有為らの孔教運動の系譜に連なるように見える。しかしそう捉えることは果たして適切であろうか、という視点から、康有為を再読解した。特に康有為の儒教利用の背後にある批判的な性格を強調した。ところが、最後まで宗教としての孔教を宣揚する努力も怠らなかった康有為は実は戊戌変法の前からすでに「大同世界」の構想に腐心しており、その大同世界では、孔教の姿は消えてしまっている。発表は、康有為における孔教主張と同時に孔教消滅という厄介な矛盾をどう理解すべきなのかという問題が提起された。
続いて古橋紀宏が「中国古代の儒教的祭天儀礼とその解釈」と題して発表を行った。古橋は漢代から隋唐時代にかけての儒教的祭天儀礼、わけても郊祀という礼制度を説明した上で、郊祀の沿革を辿った。つまり、今文学に基づく後漢の制度と異なる鄭玄説は、魏の明帝期において導入されたが、西晋になって、王粛説による反論・修正を受けて、また後漢の制度に取って代わられた。しかし、南北朝時代に入ると、鄭玄説はまた北朝において採用され、隋唐に継承される。その理由は、古橋によれば、それぞれの解釈が社会、時代の変遷に適合するか否かにある。魏晋南北朝時代が礼によって王朝が交代する、いわゆる禅譲の時代であるため、皇帝の上にさらなる権威として、礼が位置することが要求されている。そのゆえ、普遍的な礼体系を志向する鄭玄説が受け入れられたのではないか、という結論であった。
発表後、活発な質疑が展開された。来る3月6日-7日に、UTCPの主催するシンポジウム「中国伝統文化が現代中国で果たす役割」が開催される予定であり、さらなる討論が期待される。(文責:喬志航)