中期教育プログラム「脳科学と倫理」セミナー(2)第7回報告
中期教育プログラム「脳科学と倫理」の進行状況を報告します.
セミナー (2) 「ガザニガ 『脳の中の倫理』 を読む」
第6章 「私の脳がやらせたのだ」
【報告】串田純一さん 若手研究員
本文要約
アメリカでも日本でも、犯罪者の責任能力の有無が裁判において大きな争点になることは珍しくない。脳の器質的な特性のために、或る犯罪的な行為(厳密に言えば単なる「身体運動」)を反射的に行ってしまうような人間は、自由に行為する主体だと見なされないので責任を問うこともできない、というわけである。こうした「心神喪失」といった発想は近代的司法理念に当初から含まれていたが、脳科学の進展は、犯罪的・合法的とを問わずあらゆる人間行動を物理的な因果性に基づく決定論に還元する思考を助長するだろう。
実際、自由意志が存在するか否か、というこれまた古くからの議論に一石を投ずるものとして、B・リベットの有名な実験がある。それによれば、被験者が何らかの行為を意識的に決断するよりも約0,3秒早く脳内には準備電位が生じる。この結果から、いわゆる「自由意志」もまた脳の生理的機能の結果として生じるものに過ぎない、という解釈を引き出すことも不可能ではない。また、薬物中毒や脳損傷の例から見て、前頭葉の灰白質が少ないと行動を制御する能力も弱くなると考えられている。
これに対して著者は、脳と心や人の水準は区別されるべきであると言う。脳が生化学的な法則に従って機能するのは確かだとしても、責任とは、人間たちが相互に関わる社会において初めて意味を持つ概念なのである。
講読に際して議論された論点
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【レポート】ガザニガ 『脳の中の倫理』 第6章 「私の脳がやらせたのだ」 PDF (97KB)