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時の彩り(つれづれ、草) 014

2007.12.05 小林康夫

☆ サーフィンの続き(ブランショの方へ)

前回語った波乗りはまだ続いていて、先週の後半は、地方に出かけて大学認証評価の評価委員の仕事をしていた。この評価という問題についてはいずれなにかを語ってみたいと思っているが、今日はパス。

帰ってきた土日で、今週末に京都である「公共哲学京都フォーラム」のための発表原稿を書いた。これは金泰昌先生が中心のフォーラムで今回は、「公共人間の根拠と可能性」というテーマ。今年の春までUTCPにいらした宮本久雄さんからの呼びかけとあってはお応えしないわけにはいかず、なぜかここでも中島隆博さんとともに、参加することになったのだが、西欧の文化人を取り上げて「公共人間」を論じてくれ、というお題にずいぶんと苦しんだ。最初は、セザンヌか、いや、やはりベンヤミンだろうとか、いろいろ迷った挙げ句に、11月13日にUTCPで行った西山雄二さんのブランショについての発表を聞いているうちに、やはりブランショで、と心が決まった。

実は、まったく個人的なことだが、90年代の前半に、ブランショ的なものからの転回という決断を自分でしたことがあって、以後、封印状態であったのだが、西山さんの仕事などを読んでいるうちにパンドラの箱があいてしまったというか、クリストフ・ビダンの伝記とか、フィリップ・メナールのブランショ論とか、読まないで置いてあった数冊の本の埃を払って読む仕儀に至った。きっかけを与えてくれた西山さんには感謝!

ところが、大学で中島さんに会ったら、かれは司馬遷について語るはずなのに、冒頭のエピグラフはブランショで、発表は「凶星=災厄(デザストル)」がライトモチーフだとにこにこしてる。こちらは、前日に、今回は「凶星=災厄(デザストル)」のテーマは見送ろうと決めたところなのに、こちらの発表の「先」を衝いてくる。思わず「いやな人だなあ」と叫んでしまったが、こうなったらわたしの方でもそれに触れないわけにはいくまい。売られた喧嘩は……というわけでもないが、急遽、コーダをつけなくてはならなくなってきた。しかし、その前に、『UP』の原稿締め切りが切迫していて、遺伝子について書かなければならないのだ・・・やはり師走だ。走り続けなくてはならない。で、ブログもここまで。(しかし、昨日の駒場の銀杏並木は素晴らしかったですね、くるくるはらはら音をたてて無数の銀杏の金の葉が舞い落ちてきて、ああ、わが人生のようだ、と老人は感じ入ったのでした。慈悲心鳥よ、おまえの翼の音なのか!)

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