小口峰樹 日本科学哲学会第40回大会個人研究発表『知覚経験の選言説と概念説』の報告
11月10日、日本科学哲学会第40回大会(於中央大学多摩キャンパス)において私が行った個人研究発表について報告いたします。
私は本発表において、『知覚経験における選言説と概念説』というタイトルのもと、現代英米分析哲学の雄であるジョン・マクダウエルが知覚経験に関してそれぞれ独立の文脈で唱えている「選言説」と「概念説」を架橋する試みを行いました。
(ごく簡潔に述べれば)選言説とは、正しい知覚と誤った知覚の識別不可能性を何らかの「共通要素」によって説明しようとする見方に抗し、知覚的な現われを「事実へとアクセスしているか、そうしたアクセスを行っているようにみえるだけか、いずれかの状態である」と解する説であり、概念説とは、知覚経験の内容を「概念的なもの」と捉えることで、経験から信念への合理的制約の可能性を確保しようとする説です。本発表の狙いは、選言説に対して概念説に基づいた解釈を施すことで、「概念説は選言説に対してその選言肢の内実を与え、選言説に対する積極的な論拠を提供する」ということを論じ、概念説を介した選言説の擁護を試みることです。
本発表では、(1)まず概念説と選言説の基本的な論点を概観し、(2)「判断内容に対する知覚内容の豊かさ」および「知覚内容における単称的要素の対象依存性」という二つの論点を導入した上で、(3)「誤った経験」を錯覚と幻覚とに区別し、それぞれに対して先の二つの論点を用いた分析を施し、それによって選言説の精緻化を行いました。本発表が導いた結論は、選言説における正しい経験と誤った経験の相違は「両者がもつ自己帰属的な単称的内容の有無」における相違であり、両者に共通要素を認めようとする見方の誤謬は「内容の有無という点で相違する二つの経験に同一の要素を帰する」という点に存する、というものです。
発表後の質疑応答において、会場からは「錯覚と幻覚に対して発表で与えた区別は十分なものか」「価値知覚における誤りも錯覚あるいは幻覚の一種として捉えられるのか」「心的内容と心的状態の関係はどうなっているのか」「幻覚における見かけの内容をどのように規定するか」といった多くの質問をお寄せ頂きました。特に最初と最後の質問に関しては私自身にも十分納得のいく答えは見えておらず、この点では今後検討を重ねるべき重い宿題を頂戴することになりました。特に、「単称的内容の記述的内容への還元をブロックする理路を整備すること」および「錯覚と幻覚をさらに詳細に精査し、それらに対して選言説を念頭に置きつつ検討を加えること」がさしあたりの課題となります。
私自身初の学会発表でしたが、多くの方にご参集いただき、また、発表後のレセプションにおいても関心を持って頂いた方々と対話を重ねることができ、非常に実りの多いものとなりました。
発表原稿は私の個人メンバーページにPDFファイルの形で掲載してあります。なお、こちらからもダウンロードできます (⇒ダウンロード PDF231KB)。ご興味がお有りの方は是非ご一読下さい。