時の彩り(つれづれ、草) 013
☆ サーフィンあるいは風狂(カオスのあとさき)
17日の週末からの数日はなかなかきびしかった。毎日連続で続くイベント、その合間に締め切りの迫った原稿というわけで、ギアがトップに入ったままというか、(実はしたことがないのだが)大波に乗ってあやうくサーフィンをしているというか。
すでにご案内したように、土曜は東京デザインセンターで「芸術と科学」、そこでは結局、「脳あるいは生命を見る」ということがテーマ。生理学研究所などの科学者たちを相手にわたしも絵画の表象文化論で対抗はしたが、最後は、自然科学と神の問題に突入してスリリングな展開。打ち上げのワインを飲んで帰って、しかしすぐにその展開を『UP』誌の連載のために書くという始末。
その原稿が終わらないうちに、翌日の18日は表象文化論学会のシンポジウムでレヴィ=ストロースの 「野生の知」をめぐって。わたしは司会だったが、旧友の渡辺公三さんらパネリストたちの話を聴きながら、神話というものの不思議なあり方を考えていて、それは世界全体が夢のような世界であるということを示すものなのだ、と方向が見えたところが個人的な収穫か。『神話論理』第3巻の最後のレヴィ=ストロースの言葉を締めくくりに読み上げたのだが、それはそのまま『UP』原稿のエピグラフとさせてもらった。
それをなんとか書き上げたら、今後は、UTCPのイベントで丘山さんとの佛教セミナー。丘山さんの「小林さんの本音がききたい」という鋭く優しい突っ込みに、――挑発にはのるタイプなので――「無区別」から「捨」に至るわたしの佛教理解を思わず喋っていた(丘山さんの採点は「80点」だった)。いろいろ自分なりの発見もあったので、当日、家に帰って、お酒を一合飲みながら、それを今度は『水声通信』の連載のために一気に10枚ほど書いてしまった。
翌日、火曜は授業の日で、Ⅲ時間目にジャン・ポーランの若い日の日記を読み、Ⅴ限には、吉岡実の詩について。その後に、UTCPワークサロンで高桑さんを招いての70年代後半のフーコーをめぐる講演会。これは昔、フーコーが来日したときに、アテネ・フランセでフーコーに「空間と権力」について質問したときの光景が鮮やかに浮かんで、そのとき(当時26歳、30年前か!)の自分の理解と高桑さんたちいまの若い人たちのフーコー理解の連続と不連続について考えるのが興味深かった。その後、若い人たちとお酒を飲んだのが楽しかったのは、締め切りからの解放感も手伝ったか。
しかし翌21日の朝には、白金台の医科学研究所のヒトゲノム解析センターの宮野教授とお会いして「システムとしての生命」の個人講義をみっちりと。これは次回の『UP』連載のため。生命から出発して生命に戻ってきたが、そこで完結せず、今日はこれから羽田さんのイスラーム理解講座だあ……というわけで、別にこのカオス的な無謀さを自慢しているわけではなく、わたしだって少なくともこれくらいの程度には「激しく」生きているわけだから、最近もそういうことがあったが、学生が「ほかの発表がありまして」とか「ほかの授業があって」などと言い訳しているのを見ると、老人としてはかっときますね。ここに挙げたのはイベント関連だけなので、ほかに学生指導から人生相談、大学の事務だってこの合間にふつうにはやっているのだから。
まあ、11月というのは風狂の月であるのは、『野ざらし紀行』からの伝統というもの。野ざらしを覚悟して旅立つという風狂の、しかし「はしゃいだ」心。そう、わたしもはしゃいでいるのだ。知というものは、本来、そういうものなのだ。