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三浦篤 パリ研究教育報告

2007.10.27 三浦篤

 9月に久しぶりのフランス長期滞在から帰ってきました。8ヶ月半というのはやや中途半端だけれど贅沢は言えない。ただし、今回はパリ第4大学で半年間授業を持つという「教育義務」を抱えての滞在だったため、これまでとは勝手が違いました。

週に大学院ゼミを2コマ、学部の講義を1コマ持つという、専任教授と同じ条件の「招聘教授」だったため、身分は安定していたけれど、授業準備の大変だったこと。こちらは専門家とはいえ、フランス人の学生相手にフランス語でフランス絵画(マネとファンタン=ラトゥール)を講義するという経験は、慣れるまでやや妙な感じがしましたが、これを当然と思うくらいでなくては真のグローバリゼーションは実現しないわけで、居直って最後までやり遂げました。しかし、さすがに院ゼミの方は、わざわざ遠くから来たのだから日本がらみのテーマで行こうと決めて、修士1年のゼミでは「ジャポニスム」、修士2年のゼミでは「パリの日本人画家」にしたのですが、まったく計算が狂いました。日本美術、日本人の画家のことなど、「北斎、広重、歌麿」を除けば、学生は何も知らない。結局、日本美術、日本人の作品についてはすべて私自身が説明する羽目になったのです。美術史専攻の教授連の認識レベルだっていい勝負で、日本美術愛好家などはごく少数の例外に過ぎないという現実を思い知らされました。学生の眼を新たな世界に開眼させたかどうかは、10年後くらいに分かるでしょう。

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(研究室にて)

 さて、私の研究室はINHA(Institut National d’Histoire de l’Art)、つまり国立美術史研究所の中にありましたが、ここはパリの美術史系大学院とその所属研究者を集めて、数年前から活動を開始している新しい組織です。最新設備のある教室とシンポジウムのできるホールがあり、道を挟んだ隣には充実した美術史図書館(旧国立図書館を転用)もあり、ついでに言えば教職員食堂があるのも大変ありがたかった。各大学に所属している教員研究者たちは、その境界を跨ぐように、この研究所内では別個の研究単位にも同時に所属しており、そこに美術史学に近いCNRSの研究員たちもさらに加わって、さまざまなプロジェクトが推進されるという一大研究体を成してもいたのです。私の場合も細かく言えば、研究所内のパリ第4大学と「アンドレ・シャステル・センター」が共同で招聘したという形になります。中途半端な滞在期間だったため、私自身はさすがに研究プロジェクトにまでは参加しませんでしたが、将来を見越した企画、人脈作りはかなりできました。現在も、2009年に開催する19世紀フランス絵画展とそれに関連するシンポジウムの企画を、バルテレミー・ジョベール教授と一緒に進めている最中です。実は、旧人文科学分野への危機感の深刻さはフランスも日本と同じで、国際的な連携を彼らも積極的に模索しているという印象を強く持ちました(とはいえ、「ルーヴル=アブダビ」とそっくりの「ソルボンヌ=アブダビ」はどうかと思いましたが)。ともあれ、できることを今グローバルにやっていかなければという思いを胸に帰国した次第です。われわれはUTCPという研究組織を最大限活用しなければなりません。

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